できると思うと自信をなくす?できないと自覚すれば幸せになるんです
あなたを苦しめている問題は、あなたの「外」に「在」る
原因は自分の外に在る。それを外在化と呼びます。それがわかると、自分を責めない方法が身につきます。自分を責めなくなれば、やる気が出ない自分への、対処方法もわかります。自分は何も悪くない!
苦しみとは、バグのこと
基準は、快か不快か
「快か不快か」を基準に生活するべきなのですが、「快と感じるのに、周りを気にして我慢する」「不快と感じるのに、責任があるからやめられない」など、本来の「快・不快」を 捻じ曲げた行為を続けていると、バグが生じるのです。
パソコンが動かなくなるのは、バグが起きるから。理由はコードエラーです。書かれたコードに間違いがあるのです。人間が動けなくなるのも原理は同じ。コードエラーのゆえに、やる気がなくなり、動けなくなるのです。
では、人間にとってのコードって何? それは、「快」と「不快」。
人も動物も、すべては、快か不快かを基準に、動くようにできている。だから、そこに沿って生きるのが、最も動きやすい。
「快」なことをやる
「不快」なことをやらない
シンプルなのです。
コードを「快・不快」ではなく、「正しい・間違っている」とか「良い・悪い」を基準に入力してしまうと、人間本来のコードとは違うために、データがぶれて故障が生じます。
生きづらさを感じるときとは、「快」ではなく、「〇〇のほうが正しい」「〇〇したほうが良い」そこを基準にして生きているときです。そうすると、バグが起きて無気力になるわけです。
基準はどこまでも、快なのか?不快なのか? 不快なことは、やらなくていい。むしろ、やってはいけません。
不快だけど、「やらなきゃ」
快だけど、「やっちゃダメ」
そうやって、コードを捻じ曲げるからおかしくなるんです。
なぜ、コードを、曲げてしまうのでしょうか? それは、「万能感」のせいだというのです。
万能感があなたをダメにする
自分のせいにしたり自分で判断したりするという感覚が、万能感です。心のバグを取り除くには、万能感をなくしていく(捨てていく)ことが大切です。
自分は何でもわかってる。自分は何でもできる。それが万能感。
「神のみぞ知る」と言います。つまりは、自分を神だと思っている。自分のみが知っているのです。だから、万能感を持つというのは、おかしいことなのです。
「自分のせい」「原因は自分」それも実は、万能感です。なぜなら、誰にもわからないことを自分はわかってると思ってるから。
「自分のせい」って、どうしてわかりましたか? 何か根拠でもありました? 根拠も何もないですよね。自分で勝手に思い込んでいるだけです。
後悔もそう。もし〇〇だったら・・・。あのとき〇〇してたら・・・。その結果、どうなったのでしょう? それもやはり、わからないことです。
私たちは所詮、ただの人間です。何でも知っている、全知全能の神ではありません。まずはそこを自覚しましょう。
それだけでも、自分を責めることがなくなるはずです。責めるってことは、何が善で何が悪かを自分はすべて知っているから。自分を、神か裁判官だと思っているから。
つまり、判断をする・ジャッジをする・評価をする。それらも、すべては万能感から発したものなのです。だから苦しくなるんです。
自分は何もわからない。自分は何もできない。そこを認めたほうが動けるようになる。不思議ですね。
「快・不快」コードと、万能感の関係
万能感をもつと、不快になる
「前向きに動かなければいけない」とか「〇〇でなければいけない」と考えるのは万能感によるジャッジです。そういう判断を続けていると、すべての物事は「不快」になっていきます。
万能感をもつと、苦しみを招きます。なぜなら、わかってる・できると思っているため。だからこそ、わからないとき・できないとき、頭が混乱するわけです。自分が許せなくなります。
そして、万能感に支配されると、不快になります。快を無視するからです。不快というのは、そもそもが苦しいもの。
要するに、万能感で不快を招くと、苦しみばかりが増大する。そんな状態になります。ものすごい勢いで苦しみを生み出していきます。やる気がなくなるのも当然なのです。
「うまくいくはず」というのも、万能感
仮にそれを実行できても期待通りに事は運ばないかもしれないのに、それをしたら「うまくいくはず」とジャッジしてしまう習慣
なぜ、「うまくいく」とわかるのか? 逆に言えば、なぜ、「どうせ、うまくいかない」とわかるのか? 「嫌われないように〇〇する」というのも、〇〇したら嫌われないと、なぜ、わかるのか? すべては万能感なんです。
自信がないと言いながら、ものすごい自信家です。神と同等レベルですからね。
だから、「何もわからない」それこそ正常です。
では、どうしたらいいのか? 快か不快かだけで選べばいいんです。快なことをする、つまり、好きなことをしましょうということです。
どれだけ後悔があっても、過去の時点ではそれが不快だったのですから、それでいいんです。自分を気持ちよくしてあげる、それだけです。
一度立ち止まってよく考えてみてほしいのですが、いま動けなくなっているという人も、自分が「本当に」動けないかどうかは、実は誰にも「わからない」ことです。
動けないことさえわからない。禅問答のようですね。
結果的には、あれで良かった。そういうことって、たくさんありますよね。だから、誰にもわからないんです。判断すると苦しくなります。
「自分で何とかしなきゃ」そう思うのも、自分で何とかできると思っているから。そう思えば思うほど、苦しくなります。
自分で何とかする必要なんて、ないのです。どんなときでも、自分には何もわからない。その姿勢がポイントです。
無力な人間だと認めよう
万能感が働いていると、どんどん自分が偉い人間・仕事ができる人間であるように感じ、たとえば目上の人や偉い相手に対しても、「〇〇さんは自分の思い通りに動いてくれない」とか「私が望むように優しくしてくれない」という感情が湧きやすくなります。そうして相手の気に入らないところがどんどん目につき、増えていくのです。
他人をコントロールしたいのも万能感です。自分を神様だと思いたいのです。
そもそも神様だって、他人をコントロールなんてできないのかもしれません。もしかしたら、人間以上の人間、神様以上の神様。そこを目指しているのかも?
何でもできるというのは、思い上がり。自己肯定感や自信を持つこととはまた違う話なのです。
自分は無力で(責められる対象ではなく)、自分でコントロールはできないのだという地点に立ち返ることが、最初の大事なポイントです。
自分は無力な人間。それに気づくこと。そして、快か不快かだけを基準にすること。
自分に原因があるほど、自分が世界に与える影響は大したことないのです。だから、自分のせいだなんてとんでもないんですよ。
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私たちは、無意識のうちに、自分を神様だと、思ってしまうようです。なぜなら、幼児の頃は、周りを思い通りに動かせたから。自分は万能であると思ってましたよね。
権力をもつと幼児返りをする、という話もありました。
ichigo-it.hatenablog.com
神様と言うと聞こえはいいですが、単なる甘えですね。赤ん坊に戻りたいのです。神様ではなく、単なる人間。幼児に戻りたいだけ。
そこを自覚してみると、自分のせいだなんてバカバカしくなりませんか?
続きは次回。
ichigo-it.hatenablog.com
~まとめ~
誰のせいかなんて、誰にもわからない
万能感を捨てよう
選択の基準は常に、「快か不快か?」
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