ichigo's blog

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趣味があると幸せになる理由~人生は、悲しみの外側にある

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情熱と興味が彼自身の内部に向かってではなく、外側に向かって動いているかぎり、人間は幸福を達成することが必ずできるのである。


自分に無関心に。
世論に無関心に。
悩みに無関心に。


それが、
幸せに生きるための
大きなポイント


哲学者・ラッセルは、
自分の内面を見ないことで
幸せになったと言います。

ichigo-it.hatenablog.com



では、そのために
できることは何か?


それは、
自分以外のことに
興味を持つことです。


情熱・愛情・興味
それらを
外に開いていくこと。


今回は、そんな話です。


哲学者・ラッセルの
「幸福論」


幸福論 (角川ソフィア文庫)


興味の輪を広げる

趣味をもとう

心配の原因以外の何かあるものに興味をもつことができるという能力はまさに一つのすばらしい恩恵である。


復興後の宮城県石巻
訪れたことがありました。


民宿のおかみさんは
とても明るい人。


だけど、
以前の民宿は、
ゴッソリ流されたそう。


数年してから、
やっと新しい民宿を
再建した。


とても明るいので、
どう乗り越えたのかと
聞いてみたら、


「趣味があったから」


「趣味のない人は
ダメだったね。
落ち込んでばかりだった」


そのおかみさんは、
押し花をしたり、
写真を撮ったり。


復興中の写真が
たくさん飾られてました。


趣味があると、
いざというときに
ふさぎこまずに動ける。


それを教わりました。


一つの興味ないしは幾つかの興味の喪失によって打ちのめされてしまうことはセンシビリティ(感受性)の証拠としてたたえらるべきことではなくして、むしろ、生活力における一つの弱点として難ぜらるべきものである。


苦しみの原因ばかりを
見つめすぎると
動けなくなります。


一つに執着し、
一つの喪失に
こだわっていては
立ち直れません。


一つを失ったら、
また違うことに
興味を広げる。


それを繰り返すしか
ありません。


実を言うと、苦しみの原因は、
自分の内側になんてありません


それは外にあるのです。

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苦悩の原因も、外にある。
喜びの原因も、外にある。


だから
外に求めていこう。


しっかりと外を見て、
外で解決しよう。



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自分を、自分に釘づけにしない

自己中心的な情熱はこれを避けるようにし、私たちの考えを私たち自身のうえにいつまでも釘づけにさせることを防ぐような愛情や興味を身につけるように努力することこそ、私たちの任務でなければならない。


自己中な情熱を避け、
内向きになりすぎない、


そのような
愛情と興味を
身につけること


それが、
私たちの日々の任務。


目を、内にではなく、
外へ開いていく。


つまり、
外の世界に
興味を持つことです。


ウツになってしまうと、
やる気が起きません。
興味がわきません。


脳は、
何度も見ているものを
価値あるものだと
判断します。


自分ばかり見つめてると、
この世で価値あるものは、
自分だけ。


自分以外のものに
価値を
見出せなくなります。


だから、趣味が
もてなくなるのです。


視覚はとっても大事。
見えないものには
価値を感じません。


人の喧嘩ばかり見ると、
人生は争いだと判断します。


仲の良い人ばかり見ると、
人生は楽しいと判断します。


何を目にするかで、
脳の判断が決まります。


だから、
自分を見るのではなく、
外を見よう。


自分の見たいものを
見ていきましょう。


そうすると、
興味がわいてきて
趣味ができます。


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まずは、自己からの脱却

諸君が諸君自身のうちにもぐり込まないようになるや否や、ほんとうの客観的興味がでてくるものだということを諸君はある程度信じても間違いあるまい。


趣味がもてないのは、
自分ばかり
見すぎてるから。


視覚に入らないから
価値を感じないだけです。


外に目を向ければ
必ず、
興味はわいてきます。


「切手の収集に没頭できたら私はきっと幸福になるだろう」などと自分自身に言ってきかせ、そこで切手収集に取りかかるようなことはよくない。なぜなら、その切手収集に諸君がまるっきり興味をもてなくなるようなことが起こらぬともかぎらないんだから。ほんとうに諸君の興味を呼び得るものだけが諸君にとってなんらかの役に立ち得るのである。


人からのススメに
興味がもてなくても
気にすることは
ありません。


無理して
好きになろうと
することもありません。


自分の内向きを
改善できれば、
自然とわいてくるものです。


だからまずは、
自己からの脱却を!

ひとたび罪の意識をかき消すことに成功するならば、おそらくやがてほんものの客観的な興味がひとりでに内から湧き上がってくるだろう。


趣味がもてない人は
そこからスタートです。


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クヨクヨからの、脱却

イライラよりも、ユーモアを

朝早く汽車に乗ろうと急ぎ足で歩いている時にその長靴のヒモが切れたとしても、彼は、適切な間投詞を吐いたあとで、結局、靴ヒモの切れた事件などということは、宇宙の歴史から見れば、まるで取るに足りないものだということを反省するだろう。


お笑い芸人のように、
何があっても
ネタにしてしまおう。


出来事はたった一つ。
靴ヒモが切れたこと。


そこから
生み出せるものは
多種多様です。


イライラしてもいい
笑ってもいい
宇宙を考えてもいい


何を選ぶかは
自分次第ですが、


イライラじゃないほうが
価値的であることは
わかってるはずです。


ならば、
イライラ・クヨクヨは
選ばない。


賢人はこうした問題を感情抜きで処置するものだということだけを私は言いたいのだ。くよくよ思い悩んだり、不機嫌になったり、いらいらしたりすることは何の目的にも役立たぬ感情である。


イライラ以外の引き出しを
自分の中に
準備しておくことです。


太陽を見たら、
「日が昇る」だけでなく
「地球がまわってる」
そんな観点も、もっておく。

ichigo-it.hatenablog.com



いろんな見方を
もっておけば、
いざというときに
役立ちます。


事実に対する真実は、
自分で選んでしまえば
いいのです。


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客観的に、滑稽なものを選ぶ

最善の治療法は、単に一つだけの画像ではなく、むしろ一つの全体的な画廊をもち、そして、何かいま問題になっているでき事に適切な一つの自分の画像をその中から選び出すことである。ところで、このなかの幾枚かの自画像がやや少しばかり滑稽なものであれば、なおさら、けっこうである。自分自身のことを終日、すばらしい悲劇の主人公であるかのようにながめることは賢いことではない。


悲しい出来事に
遭遇したとき、


感情を
自分の主観に任せると、
ただただ
悲しいままになります。


そこで、
少し客観的に見てみる。
俯瞰して見てみる。
逆方向から見てみる。


そして、
滑稽なものを選び、
ユーモアに変える。


そんな技が身についたら
悲しみや苦痛からも、
少しずつ
抜け出せるはずです。


欠点ばかり見る
悲劇ばかり見る


見ているものでしか
脳は判断しないので
抜け出すことが
難しくなるわけです。


幸福な人間とは、客観的に生きる人である、自由な愛情と広やかな興味をもてる人である、これらの興味や愛情を通して、さらにまた、次にはその代わりに彼自身を他の多くの人々にとって愛情と興味の対象にさせるという事実を通して、その幸福を確保するところの人である。


私たちが
もっとも安心できた場所。


それは、
お母さんのお腹の中です。


外は、未知の世界。
怖いし、ツラい。


だけど、どうしても
外に出なければ
ならなかったのです。


むしろ、
外へ出たがったのです。


外を見るとは、
客観的な視点をもつこと。


まだ見ぬ未知の世界へ
関心を抱くこと。


自然と、外に興味がわき、
趣味ができ、
笑いを生み出せる。


私たちは、もともと、
そんな存在です。


外部に対する、
愛情と興味。


心の中に、
育てていきましょう。



バラ色 ♡
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さてさて、この女性。


何度も目にしたので、
少し、愛着を
感じ始めてませんか?


そして、
これを書いてる私の人生が、
バラ色に感じませんか?


(錯覚です)


何度も目にすると、
愛着を感じ、
真実に見えてきます。


だから、
暗いものばかり
見つめるのではなく、
希望のあるものを
意識して見ていく。


何度も何度も見る。


それだけでも
脳は、確実に、
変化していきます。


人生、バラ色。


好きな色で飾りましょう。



~まとめ~

人生の真実は、
内ではなく、外側にある


外の世界への愛情と興味が、
自身を癒していく





幸福論 (角川ソフィア文庫)

幸福論 (角川ソフィア文庫)