ichigo's blog

気軽な日記ブログです

簡単に幸せになれちゃいます~今すぐ実践できるアランの幸福論

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ほんとうのところ、しあわせだとか、不幸だとかいう理由には価値がないのだ。からだと、からだの働きですべてが決まってくる。


もっとも簡単に、
今すぐ、誰もが、
幸せになれる方法。


それは、
体を動かすこと


筋肉を使い、
血流が良くなれば、
心の状態は改善します。


ラッセルの
「幸福論」に引き続き。

ichigo-it.hatenablog.com



今回は、
アランの「幸福論」


それは、
とってもシンプルです。


心と体はつながっている。
だから体を大切にしよう。


私たちの体は、
奇跡の源だったのです。


幸福論 (岩波文庫)



血液とストレスとの関係

悩みには、血球数が関係している

よろこびの季節が終わる頃になると、血球数が減少する。悲しみの季節の終わる頃になると、血球数が増大する。血球の減少・増大がその想像力の織り成す夢幻ドラマの真相だった。


血球数の減少によって
ストレスが発生するのか、


ストレスによって、
血球数が減少するのか、


どちらなのかは
よくわかりませんが、


ストレスと血球数には
関連があるようです。


体と心は連動している


そうだとしたら、
心の動きに
注目するよりも


体の病気だと
とらえてしまえば、
扱いはグッと、
簡単になります。


血球数が問題なのだと知ることは、自分の考えがばかげていたと笑いながら、その悲しみをつっぱねて、からだの中に押しやることだ。からだの中では悲しみはもう単なる疲労か病気にすぎない。


疲労・病気だと
思うことです。


そうすれば、
睡眠をよくとる
栄養をとるなどの
対策ができます。


子どもは、
痛くて泣くよりも、
驚いて泣くことが
多いですよね。


人間は、
ストレスを感じると
心臓がバクバクしますが、


その心臓の高鳴りに、
私たちは
パニックを起こします。


心臓の動きが
いつもと違うので
驚いてしまうのです。


そんなとき、
一番いいのは深呼吸。
体を整えること。


驚いている心に
着目していても、
改善はできません。


ストレスと思うより、
ただの体の変化だと
考えてみましょう。


悩みには、血流も関係している

同じ考えがくりかえしわれわれの脳裏に浮かんでくるのは、しかも夜静かな時にはきわめて激しい考えが浮かんでくるのは、血液の運動によって、つまり神経と脳のなかを行き来するあるふしぎな流体の運動によってである。このような肉体の動揺に、ふつうわれわれは気づかない。結果を知るだけだ。


血球数だけでなく、
血流も影響する。


血管が
ドクドクいうのを
感じたりしますよね。


夜に思い悩んでしまうのは
そのような血の運動に
左右されるからです。


性格の違いも、
血流の違いによって
決まってきます。

ichigo-it.hatenablog.com



性格も、
心の苦しみも、
すべては血の流れ。


だけど私たちは、
「苦しい」という結果しか
知りえません。


それによって、
心が痛いのだと
思い込んでいるだけ。


そんな可能性も
あるわけです。


もしかしたら、
単なる血の影響なのかも
しれません。


だから、もっと、
体の調整に
目を向けてみよう。


そのほうが早いのです。


思い悩んだり
責めたりすることも
なくなります。


自分自身を責めたり呪ったりすることはもうしなくなる。「ぼくは悲しいのだ。目の前が真っ暗だ。でも、これにはいろいろな事件など何の関係もない。自分の理屈も関係がない。理屈をこねようとするのは身体なのだ。それはいわば胃の考えたことだ」と思うようになるだろう。


体を休める
体を大切にする


その結果として、
心の動きも
変わってきます。



体が、心に影響を及ぼす

血の流れが良くなると、心は解放される

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姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。なぜなら、われわれの中で、運動を伝える筋肉だけがわれわれの自由になる唯一の部分であるから。ほほ笑むことや肩をすくめることは、思いわずらっていることを遠ざける常套手段である。こんな実に簡単な運動によってたちまち内臓の血液循環が変わることを知るがよい。


子どもが
悩みを自覚しないのは、
発達してないのではなく、
体を動かしているから
かもしれません。


遊んでるうちに
忘れちゃったり
するものです。


思考とは、後天的なもの。


子どもは
何にでも興味があるし
何でも触りたいし
どこへでも行きたい


考える前に行動です。


でも、
親から教わるのです。


あれダメ、これダメ、
それは危険、
よく考えなさい


だんだん、
行動する前に
考えるように
なってしまいます。


だけど本当は、
考える前に
やってしまったほうが
気持ちいい。


叱られても、喧嘩しても、
ケロッと忘れて
次へ進んでいけます。


もともとは、そうやって、
何でも挑戦してきた
はずなんです。


心の領域の病気にも、また肉体の病気の初期症状にも同じく、リラックスさせることと体操とが必要なのだ。たいていの場合、この治療法だけで十分だろうとぼくは思う。ところが、だれもそんなことを考えないのだ。


血液の流れが
良くなれば、
心も蘇生する。


ご年配の方々が、
体操や散歩に
いそしむことを
甘く見てはなりません。


歌やスピーチも、心を解放する運動

ほんとうの歌やほんとうの雄弁もやはり心を落ち着かせるものだ。適度な運動がすべての筋肉に課されているからである。すばらしいことなのに、ほとんどだれも考えようとしないことがある。われわれが情念から解放されるのは思考のはたらきによってではない。むしろからだの運動がわれわれを解放するのだ。


歌うと心地がいいのは、
筋肉を動かすから。


スピーチ・プレゼンも
口の周りの筋肉を使う。


だから、思いっきり
取り組んだあとは
心もスッキリするのです。


じっと考え込むよりも
体を動かし、
筋肉を使い、
血の流れを良くする


それが、
心を解放するための
もっとも簡単な方法です。


仕事も、心を解放する運動

舞台に立つのを死ぬほどこわがっていたピアニストが、演奏しはじめるやいなやたちまち直ってしまうのをどう説明したらよいのか。


行動を足踏みする理由。
モチベーションが下がる理由。


それは、心が苦悩を
感じているからですね。


だけど心は、
体を動かすことで
活性化されるのです。


だから、まずは
体を動かすこと。



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ピアニストはあの指の柔らかい運びによって恐怖を揺り動かし、追い払ってしまうのだと理解したい。


恐怖を
追い払ってくれるのは
私たちの体です。


敵が現れたとき。


自分を救ってくれるのは
自分の足です。


体が硬直したら
食べられてしまいます。


考える前に行動を。


それが
生き延びる知恵です。


会社に行くのが
つらくても!


通勤電車に乗るのも、
パソコンを打つのも、
すべて運動。


体が柔らかくなれば、
心も柔らかくなります。


体操だと思いましょう。


アラン自身も、
数十年間、毎日毎日、
新聞に載せる記事を
書き続けたそうです。


社交生活も、心を解放する運動

お辞儀をしたりほほ笑んだりするしぐさは、まったく反対の動き、つまり激怒、不信、憂鬱を不可能にしてしまうという利点がある。だから社交生活や訪問や儀式やお祝いがいつも好まれるのである。それは幸福を演じてみるチャンスなのだ。この種の喜劇はまちがいなくわれわれを悲劇から解放する。これは大したものである。


生きていれば、
人付き合いは
避けられません。


親戚づきあい
ご近所づきあい
会社のつきあい


ペコペコしたり、
愛想笑いしたり。


ときには面倒で、
煩わしくもなります。


そんなときは、
体操だと
思ってしまいましょう。


首や腰を動かす
ほっぺたの筋肉を動かす


それだけでも
リフレッシュ効果が
得られます。


笑い合うことで
幸せホルモンも
分泌されます。


どうせなら、
心身のための活用を。


難しく考えすぎず、
とにかく動く!



宗教の重大な意義

祈りの姿勢に、意味がある

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ひざまずいたり、からだをかがめたり、また楽な姿勢にもどったりしながら、あの肉体は、諸器官を解放し、生命の機能をいちだんと高めているからである。「心おごりたるシカンブル人(フランク王クロヴィス) よ、頭(こうべ)を垂れよ」という言葉は、怒りや傲慢を直せと要求しているのではなく、まず黙って、目を休めて、柔和な心で生きることを求めているのである。


祈りは尊いもの。


そして実は、
運動という意味でも
とっても合理的。


ひざまずく
手を動かす
空を見上げる
こうべを垂れる


そうやって
体を動かすこと自体に
心を整える秘訣が
つまっていたのです。


ひどくいらだっている人がひざまずき、柔和な心をもとめる。もちろん彼はやさしくなる、もしほんとうにひざまずくならば。つまり怒りを追い払う姿勢をとるならば。すると彼は、慈悲深い力が自分を悪から救い出してくれるのを感じたと語る。


変わりたいと思い、
自分が体を
動かしたからこそ、
心が変わっていく。


それを
奇跡だと感じると
いうのです。


実は科学的なこと。


自分が体を動かした
そして
変わろうと思った


それこそが
奇跡だったわけです。


慈悲深い力とは、
実は、
自分の体に宿っている。


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四の五の言わずに
体を動かせ!


とってもシンプルですね。
今すぐ実践できます。


ただし、
そうは言っても・・・


ここで一つ、
疑問がわきます。


スポーツ選手が、
必ずしも幸せとは
限らないことです。


体を動かせばいいなら、
全員が、肉体労働に
従事すればいいはず。


でも、
そうはいかないのも
また人生。


続きは、こちら。

ichigo-it.hatenablog.com



~まとめ~

体を動かすと、心は変わる

自分の体こそ、
慈悲と奇跡の宝石箱




幸福論 (岩波文庫)