なぜ誰にも理解されないの?~孤独な気持ちのなぐさめ方
誰もあなたを見ていません
大半の人々が諸君を迫害してみたいと思うほど諸君のことを考えているのだ、などとかりそめにも空想するな。
「自分は役に立っているんだ」と自分で妄想してしまうのも良い方法です!
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何かに打ち込んで、自分を忘れたほうが幸せになれます。
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今回は、自分と他人との関係について。特に、空想(妄想)が苦しみを招いているという話です。
自分が迫害者だなんて、大妄想!! 悲劇の主人公はやめよう。あなたは、そんなに偉大な人物ではありません。
ラッセルの「幸福論」
他人は、あなたに興味がない
誰も、あなたに価値を見出してない
私たちは、私たちが自分に対して抱いているようなやさしい愛情と深い尊敬を誰もが私たちに対して抱いてくれることを期待している。そして、私たちが他人について考えているよりも、他人がもっとよく私たちのことを考えてくれるなどということは、私たちとしては期待できないことだということに、私たちは気がつかないのである。
どう見られてるだろう?
どう思われてるだろう?
ハッキリ言って、誰も見てません。誰も、何とも思っていません。
なぜ、わかってくれないのか?
なぜ、評価されないのか?
その理由?
それは、誰も見てないからです。
自分がカワイイのは、自分の顔を、鏡で毎日、見ているからです。24時間・365日、自分をずーっと見ている人は自分です。だけど、私たちはそれに気づかずに、誰かが見ていると錯覚をしているのです。
動物が、鏡に映った自分の姿を、自分だと気づかずに警戒するのと同じ。
自分をずっと見ている人は、自分ですよ!
他人じゃありません。他人は見てませんよ。
なぜ、それがわからないか? それは、実は、あなたのせいではなく、脳のしわざだったのです。
私たち自身の手柄ははっきりとしているし、またすばらしいものなのに、他人の手柄は、もしそれがいやしくも現存するとしても、よほど、心の広やかな眼の持ち主にしか映らないという事実のためである。
脳には、錯覚心理というものがあります。
錯覚心理とは、知っているものが大好き、何度も目にするものが大好きという心理です。
知っているものには価値がある。知らないものには価値がない、何度も目にするものには価値がある。目にしないものには価値がない。
脳は、そのように判断しているのです。
では、あなたが一番、よく知っていて、一番、見ているもの。何ですか?
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自分自身ですよね。
だから、自分が一番、価値がある。たまにしか見ない、他人の顔。私には見えない、他人の心。見えないし、知らないから、価値が低いのです。
ナルシストになるのは、当然なんですよ。毎日、見ているからです。
相手の脳の中身は見えません。見えない能力は低く見積もられます。だから、相手の理解力が過小評価されるのです。
これがエスカレートすると、周囲は私のことを理解してくれないが、自分は周囲をよく理解していると錯覚することになります。
──私はこんなに想っているのに、相手は見合った愛情を返してくれない。
──私は気を利かせてマメに掃除をしているのに、まわりは気づいてくれない。
──自分はこんなに働いているのに、昇進しないのは上層部が無理解だからだ。
すべての人の脳は、他人のことを過小評価しています。だから、期待すると苦しいのです。そのことを理解し、自分が見られているという幻想から、脱しなければなりません。
見られてると思うと、無視されてるように感じますよね。だけど実際は、そもそも見られてもいない、無視さえもされていないってこと。
他人を意識すると嫉妬が生じる
見られてないって、実は楽しい!
ほんとうに世論に対して無関心でいることは、まさに、一つの力であり、かつ幸福の源泉である。そしてさらに、因襲に対してあまりにもペコペコしようとしない男や女たちから成り立っている社会のほうが、誰も彼も千篇一律に振る舞う社会よりも、はるかにおもしろい社会であるだろう。
誰も、他人のことを気にしていない。それなのに、なぜ、世間体が気になるのでしょう。なぜ、空気を読まなければと考えるのでしょう。
それもやっぱり、自分が見られているという幻想からではないでしょうか。それも白い目で見られているという・・・。
誰にも見られていないって思うと、寂しい気持ちに襲われますが、逆に考えれば、世間体から自由になっていいとも考えられます。
どうせ見られてないんですよ? ならば、自由に好きに、やろうじゃないか!
特に日本では、世論を気にする風潮が昔からずっと根付いてます。自己責任論もその一つ。
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自分ではどうにもできないものに、振り回されすぎなのです。
他人がどう思おうと関係ない。それは良くも悪くもです。だから、見られていないっていう事実を、寂しさではなく、楽しさに変えよう!
比較から、嫉妬が始まる
嫉妬ぶかい人間は自分自身に向かってこう言いきかせる、「なるほど、私の恋人は美しい。私は彼女を愛しているし、彼女も私を愛している。けれども、シバの女王はこれよりも何倍か美しかったにちがいない。ああ私にもしソロモン王の機会があったとしたら!」。こうした比較はすべて無意味であり愚かである。
もしも、他人が自分を見てくれたとして、理解してくれたとしても、嬉しいのは一瞬です。なぜなら、すぐに嫉妬が始まるから。
嫉妬は、比較から生まれます。要するに、他人を意識した時点で、嫉妬の種も植わってしまうのです。それも、自分が嫉妬する場合もあれば、他人に嫉妬される場合もあります。
自分は嫉妬はしていないけれど、なぜか苦しいとき。そんなときは、他人から嫉妬されてるという場合があります。見られていないという寂しさではなく、嫉妬されているという苦しさってことです。
そう! 実は、孤独で苦しんでいるのではなく、周囲から嫉妬されて苦しんでいる可能性があるのです!
それが、苦しみの原因は外に在るという考え方。原因を外在化するということです。
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なぜ、嫉妬をされるのか? それは、あなたが素晴らしいからですよね。なぜ、無視されるのか? それは、あなたがまぶしいからです。
そう考えれば、寂しさを抱える必要はないってことに気づいてきます。むしろ、その逆で、もっと自信をもてばいいってことなんですよ。
ただし、その場合、今度は自分が、嫉妬をする苦しさも味わうことになります。
収入が5万円アップした。喜ばしいことなのに、10万円アップした人を見てイヤな気分になる。際限なく上を見て、自分と比べ、嫉妬をして、今に満足できない。
「今を生きよう」とか、「自分を大切に」とか、何度となく言われても、人はどうしても比較をするもの。
やっぱり、嫉妬しちゃうんです。他人の嫉妬が止められないように、自分の嫉妬も止められません。
何か愉快なことが起こった場合、人はこれを精いっぱいたのしむべきであって、誰か別の人にひょっとしたら起こっているかもしれない事柄に比べて、これはそれほど愉快なことじゃないなどと考え込んだりすべきものではない。
他人の嫉妬をうまくかわしつつ、自分は自分の現状を思いっきり楽しむ!それが生きるコツ。
自分の羽が、一番美しいと認めよう
孔雀が自分の尾を世界じゅうでいちばん美しい尾だと思い込んだからといって、どの孔雀も他の孔雀を羨望するようになるとは私は考えない。
嫉妬への対策は、自分を認めることです。自分の羽が一番美しいのだと思って生きればいい。どうせ人は、錯覚して生きてます。ならば、自分は美しいと錯覚したほうがいい。
しかも、嫉妬するということは、本当は自分のほうが美しいのだと知っているってことです。嫉妬は、自分よりも格下の人に抱く感情だからです。
下だと思ってたのに実はスゴかった。そこに嫉妬が生まれる。だから本当は、自分が上だと思ってるのですよ。そこを、もう、認めてしまいましょう。
まるで別世界のものに関しては、人は無関心です。嫉妬はしません。
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嫉妬をするのは、関心がある証拠だし、自分にもできると思っている証拠。そこを認めれば、自分の才能を発揮できるようになります。そうすれば、誰にも理解されないという寂しさも消えていきます。
抑えつけるから嫉妬に苦しむ。抑えつけるから孤独になる。自分は、美しい。自分は、素晴らしい。そこを認めましょう! どうせ他人は、あなたに興味ありませんから。
嫉妬の話では、南海キャンディーズの話が心に染みました。
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孤独感や嫉妬で苦しむのは、きっと、皆が皆、錯覚をしているからです。自分は評価されないのに、他人は評価される。自分は雑草のよう。他人はバラのよう。悔しい。ズルい。
雑草もバラも、空想の産物ですけどね。それがわからずに、悔しくて批判をするのです。勝手に孤独になっているのです。そして批判されたほうは、必要以上に真剣に受け止めてしまいます。
なんだか、考えてると面倒くさくなってきませんか? そんな苦しみの連鎖はやめて、自分がバラになってしまいましょう!
どうせ空想するなら。
私はただこう言いたいのだ、人々は自然であるべきなのだ、そしてこういうふうにその人、その人として自然であることがハッキリと反社会的でないかぎり、彼らの自発的な趣味に生きるべきなのだ。
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ただし、他人の賞賛は求めないように
諸君が諸君自身を評価しているほど、諸君の友人が諸君の能力を高く評価していないことを見出すならば、間違っているのは友人たちだと、毛頭、思い込まぬようにするがいい。
自分は美しいと、思ってていい。それは自尊心を高め、生き抜く力になっていきます。問題になるのは、やはり、他人からの評価や賞賛を求めようとする心です。
自分が美しいことを、他人に認めさせたい、評価させたい、わからせたい。だから苦しみが生まれます。
前述したとおり、他人は、あなたの価値を過小評価します。わからせたいと思っても、わかってはくれません。認めさせようとするのはやめよう。取り越し苦労に終わります。
自分のことも他人のこともコントロールしたくなるのは、自分を神様のように思っているから。自分には何でもできるという万能感。嫉妬の苦しみではなく、万能感の苦しみもあなたを襲います。
だから、「自分は美しい」ことを認めると同時に、「自分は何も知らない」ことも認めると、グッと幸せ度が増していきます。
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自分は美しいと思ってていい。ただし、それは、他人の賞賛を必要としないものであるべき。そして、自分は無力な存在だと知れば、「誰もわかってくれない!」というムダな自己主張もしなくて済むのです。
どうせ、死ぬときは一人。三途の川は、誰も一緒に渡ってくれません。自分で自分に満足できれば、万事オッケーじゃないですか!?
あなたは、孤独な存在なんかではありません。美しくて、素晴らしいんですよ!!
自分の本当の姿を見つめていけば、きっと感謝の気持ちに変わっていきます。もっとマイペースでいこう!
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さかなクンの生き方が本当に素晴らしいです。好きなことを純粋に追求していけば、寂しさなんて感じないことを学べます。ぜひ、参考にしてほしい。
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~まとめ~
どうせ他人は、あなたに興味がない
ならば、思いっきりやろう!!
- 作者: 堀秀彦,B・ラッセル
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