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相手に尽くすよりも大事なことって?~フランクリンに学ぶ人との対話法

フランクリン自伝 (岩波文庫)




人付き合いで最も大事なことは、
「尽くす」より、「尽くさせる」ことだったんです!
どういうことでしょうか。
そのことをフランクリンから学んでみましょう。

私が見てきたところでは、理窟屋で反対好きで言葉争いに耽るような連中は、多くは仕事のほうがうまく行かないようだ。彼らは勝つことはある。しかし、勝利よりも役に立つ、人の好意というものをうることは決してないのだ。


「人を動かす」では、
議論をしない・相手の誤りを指摘しないことを学びました。
自分をわかってもらうための2つのコツ~「人を動かす」 - ichigo's blog




フランクリンは、それを実践した人でした。
「尽くさせる」ためには、
まず「議論をしない」ことが入り口となります。


今回は、「フランクリン自伝」の中から、
フランクリンが身につけた徳について、
ピックアップしてみます。



徳を、習慣づける

幸せは、徳の力による

正直と誠実とは、貧しい者が立身出世するのにもっとも役立つ徳である


フランクリンは、徳を大事にし、
徳を身につけるために
あらゆる努力をした
ようです。


とても勤勉で、読書だけが唯一の楽しみ。
飲みにも行かず、賭け事にもふけりませんでした。
仕事も、人よりも熱心に取り組んでいました。


また、倹約家で、召し使いも雇わず、
食事も簡素なものですまし、
無駄遣いは決してしなかったそうです。


それにも関わらず、自分の欠点を克服するために、
日々の努力を重ねていました。


そんな人徳のおかげで、
事業でも次々と成功をおさめたのでしょう。
それでも、傲慢な感じは見受けられないのです。


だからこそ、
今でも尊敬する人の上位に入るのでしょうね。


謙譲の徳

私は一般に高慢だと思われていて、その高慢なところが談話のさいにもたびたび出て来る。何か議論するとなると、自分のほうが正しいというだけでは気がすまないで、おっかぶせるような、むしろ不遜と言ってもいい態度がある


フランクリンは、とても議論好きだったようです。
議論好きというと聞こえがいいですが、
要は、相手の意見に反対したいのです。
どうしても打ち負かしたくなるわけです。


フランクリンも、議論好きなゆえに、
不快な気持ちになったり、
人づきあいが悪くなったり、
そういう悪い癖が出てしまったそうです。


それで、徳のなかでも「謙譲の徳」を一番重視し、
よりよい対話法を身につけるべく努力をしたのです。


この本を読んで、
「欠点の克服」とはこういうことなのかと、
自分の中に新たな視点が生まれました。


「欠点」はどうしても見るのがイヤになります。
だけどフランクリンは、淡々とそれを見つめ、
自分にできる努力を重ねていくのです。
もちろん、その努力も、人一倍のものですが。


「欠点も愛そう」とか、
「欠点も強み」とか、
そんな言葉でごまかさない。


とにかく悪い癖を直したいという気持ちが、
行動になっているのです。
見習いたいところです。


ソクラテス式を装うことに決めた

私はすっかり感心して、いきなり人の説に反対したり、頑固に自説を主張したりする今までのやり方を止め、この方法に従って謙遜な態度で物を尋ね、物を疑うといった風を装うことに決めた。


ソクラテス式論争法を学んだ時、
その方法に「すっかり感心した」そうです。


何かを学んで感心することがあっても、
「やっぱり自分にはできない」と、
あきらめてしまうことが大半ではないですか?


「やっぱり偉い人は違う」とか、
「自分とは関係ない」とか、
私は、そんなふうに思いがちで、
なかなか変わることができません。


フランクリンは、「すっかり感心し」
「今までのやり方を止め」
「装うことに決めた」というのです。


それだけで、すごいことですよね。


ただ、「装う」と言っているように、
最初は、フリをしていただけのようです。
やっていくうちに、本心として身についたそうです。


だから、まずは「装う」
それでもいいのです。真似してみませんか。


では、ソクラテス式とは何なのでしょう。
次にそれを見てみましょう。



ソクラテス式論争法

ソクラテス式に取り組む

その人の才能がどうであろうと、徳のない人間は真に分別のある人物とは言えないということを証明するソクラテス風の問答


具体的には、次のようなことに取り組んだそうです。

  • 断定的な言い方をしない
  • 相手が間違っていても指摘しない
  • 謙遜な態度でたずねる
  • 確かなことでも確信なさげに言う
  • 人に教えているような雰囲気を出さない
  • 相手が知らないことも、忘れたことのように言う


断定的な言い方をしない代わりに、
こう言ったそうです。

「私はこう思う」
「こうではないかと思う」
「こうこうだろうと想像する」
「現在のところ、私にはこうだと思われる」


また、相手が間違っている時には、次のように。

「時と場合によっては君の意見も正しいだろうが、
現在の場合はどうも違うようだ、自分にはそう思えるが」


いかがでしょうか。
このような話し方をするには、
かなりの忍耐力がいりそうですね。
ついつい、
「いやいや、そうじゃないでしょ!」と、
言いたくなってしまいます。


しかし、忍耐強く、
このような話し方をすると、
相手がとても変わるというのです。


結果、どうなったか

生れながらの性質ではないため、初めは少し無理をして装っていたがだんだん自然になっていき、最後には完全な習慣となった。


取り組んだ結果、次のように変わったそうです。

  • 人との会話が、気持ちよくできるようになった
  • 人に受け入れてもらえ、反発も少なくなった
  • 相手の誤りを改めさせることができるようになった
  • 自分に同意させられるようになった


上記のような効果は、
自分よりも
知識のすぐれた人々を相手にした場合でも、
同じようにあらわれたそうです。


さらに驚くことには、
フランクリンは、もともと話し下手で、
口が達者なわけではないとのことなんです。


これは朗報ですよね。
口下手だとか、うまく言えないとか、
そんなことは関係なかったのです。


うまく言いくるめる技術ではありません。
ただ相手の誤りを、
指摘しないように心がけるだけです。
謙遜な態度でいけばいいのです。
それが一番難しいところですが。


そして、この習慣を身につけてから50年間、
独断的な言葉を使ったことがないそうです。


習慣を身につける努力をし、
完全に自分のものにしているわけです。
偉人と仰がれて当然の人格ですね。


ちょっとやってみて、
うまくいかなくて諦めて・・・
そんなことの繰り返しでは、
うまくいかないのは当然ということです。


フランクリンの努力に
学んでみるといいかもしれません。



敵も味方に変える

敵対からは何も生まれない

他人の敵意のある行動を恨んでこれに返報し、敵対行為をつづけるよりも、考え深くそれを取りのけるようにするほうがずっと得なのである。


さて、いくら謙遜な態度が大事とは言っても、
あからさまに敵意を見せてくる相手には、
どうしたらいいのでしょうか。


自分の心に余裕のない場合は、
そういう人は避けることが一番だと思います。
必要以上に関わらないことです。


ただ、敵というのは、
誰よりも強い味方に変わることがあります。
敵意は愛情の裏返しだったりするからです。


だから、相手の敵意を取り払うことに成功すれば、
思いがけないことが起こる可能性があるのです。


では、敵意を持った人に対する、
フランクリンの対策とは、何だったのでしょうか。


ちょっとしたお願いをしてみる

一度面倒を見てくれた人は進んでまた面倒を見てくれる。こっちが恩を施した相手はそうはいかない


フランクリンは、卑屈なお世辞を言うよりも、
相手にちょっとしたお願いをしてみるのだそうです。


具体的には、相手が珍しい本を持っていることを聞き、
それを借してほしいとお願いしたそうです。
その後、感謝の手紙と一緒に返却したと。


たったそれだけのことで、
とても好意を持ってくれるようになり、
仲の良い友達になったそうです。


いったい、どういうことなのでしょうか?


尽くす喜びを、与えてあげる

これは、心理学で実証されていることですが、
人は、誰かのお願いを聞いてあげると、
その相手を大事な人だと認識するそうです。


ここで言う相手とは、
「お願いを聞いてくれた人」ではなく、
お願いを聞いてあげた人」のことです。


わざわざ自分の時間と労力を使って、
相手の面倒を見てあげたわけです。


自分が、「わざわざ」時間を使った、
だからこの人は大事な相手なんだ!
そのような認識に変わるのです。


自分の労力も時間も、ムダにしたくないんです。
時間を使ったという時点で、
相手を「どうでもいい人」とは思いたくないのです。


脳の錯覚と言えるかもしれませんが、
とても面白いことですよね。


だから、相手との距離を縮めたければ、
自分が相手に何かを
「してあげる」よりも
相手に何かを
「してもらう」ほうがいいんです。


誰もが、
「人の役に立ちたい」と思ってるものです。
感謝されたいんです。
頼られたいんです。


だから、その機会を与えてあげることです。
愛される人、尽くされる人、というのは、
相手に、「尽くす喜び」を与えてあげる人
そう言えるのかもしれません。


尽くしても嫌われる場合があります。
逆に、尽くした人のことは嫌いにはなりません。


なかなか使えるコツだと思います。
試してみてはどうでしょうか。
でも、悪用しては逆効果ですよ!



談話の主要な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすることにあるのだから、ほとんどきまって人を不快にさせ、反感を惹き起し、言葉というものがわれわれに与えられた目的、つまり知識なり楽しみなりを与えたり受けたりすることを片端 から駄目にしてしまうような、押しの強い高飛車な言い方をして、せっかくの善を為す力を減らしてしまうことがないよう、私は思慮に富む善意の人々に望みたい。


会話は、友好な関係を結ぶこと、
楽しい気分になることが目的なんです。
その目的を忘れちゃいけないってことです。


自分の意見を押しつけるのではなく、
相手の役に立つためにどうするのか?という視点です。
それは「嫌われる勇気」の結論でした。
ichigo-it.hatenablog.com



~まとめ~

対話はソクラテス式で!
尽くすよりも、尽くさせる
感謝されたい欲求を満たしてあげること




フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)