理由や目的はすべて「後出し」。でも、理由があると心は安定すると思う。
理由や目的は、ほぼ「後づけ」。それは、脳科学的にも証明されているようです。
ただ、理由があったほうが心は安定する。だから必死で、理由や目的を探すのです。やっぱり「後づけ」ですね。
どうしても気になってしまうんです。「なぜ、やってるのか?」「何のためにやってるのか?」
理由なんてないのに、理由があったほうが脳は落ち着く。不思議な現象です。
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何をやるにしても、理由なんてほぼないと思う。
「好きだから」とは言っても、なぜ好きなのか?という問いには答えられない。そういうものではないでしょうか。
「最初に陸に上がった魚は、ビジョンなんて抱いてなかった」という話を読んだときは、妙に納得してしまいました。そういうものかもしれません。
陸に上がれば、○○が実現できて、数年後には○○になって、だから今、○○の目的で陸に上がるんだ!なんて、思わない気がする。
単なる好奇心とか。ちょっとしたお遊びとか。もしくは、どうしてもエサがなくなって、泣く泣くとか。
結局のところ、「なんとなく」っていうのが一番強い気がします。何をやるにも。
だけど、自分が行動する理由は明確にしておきたい。それだけじゃなく、他人が行動している理由も明確にしてほしい。
だから必ず聞くんです。「なぜ、やっているのですか?」
そんなふうに質問して、すごくスッキリした答えをくれる人って、あまりいません。
なんとなくわかるんだけど、なんとなくわからない。
それでもやっぱり、聞きたくなる。「なぜ?」「何のために?」
ブログにしても、プロフィールや、ブログの目的は必ず書こうって言われますが、これがとても大変なんです。理由や目的なんてないですから。
だけど、他人のブログを読むと、やっぱり気になる。
どんな人だろう? どんな目的で書いてるの?
そして必ず、プロフィールは見てしまいます。どぉ~しても、気になっちゃうんですよね。知らずにはいられない。
プロフィールの中に本質はないと思ってます。語れるわけがない。「後づけ」のものです。
また、どんどんと変化していくもの。
今日はこう思ってるけど、明日にはまったく違うことを思っているかもしれない。それくらい、人間の変化って激しいものだと思います。
それでも知りたい。ちょっとでも知れると心は安定する。あぁ、こういう人なのねと。
だから、理由や目的を述べるのは、ある意味、「人のため」でもあるかもしれない。相手を落ち着かせてあげるため。
そして、自分も落ち着く。スッキリと行動できるようになる。
不思議です。本当は理由なんてないはずなのに、脳はなぜ、理由を求めるのでしょう? ちょっと追求してみたいです。
ということで、理由があったほうが落ち着くから、速読をする理由を述べてみようと思います。
まず一つは、心を安定させたいから。読書には、心を落ち着かせる効果がやっぱりあると思います。
そしてもう一つは、人の気持ちを理解するため。
いろんなことを知って、いろんな見方を知ると、あぁそうなんだなぁということが増えていく。知性を磨けば、世界の動きや人の動きが、理解できるようになる(と信じたい)。
そんななかで、ちょっとだけ効果を感じました。
職場でとても頭にくる出来事があったんです。とてもイラッときました。
だけど今までとは違って、ストレスに飲み込まれるという感覚はなかった。
冷静に見つめて、じゃあ自分はどうしよう?と、少し意識を引いた感じで考えられた気がします。
イラッとしてる気持ちは変わらないけれど、ちょっと愉快に思えた感じ。さてさて、どうしよう?と。
読書で心を調えたので、感じ方が変わったかなぁというのは、ちょっとした手応えです。
そして、自分の気持ちに素直に向き合うこと。我慢しなきゃとかではなく、自分はどうしたいのか? どういう自分になりたいのか?
考えるきっかけになったので、良い出来事だったなぁと思えます。それでもイラッとはしていますが。
解決策を考えるうえでも、また本を読みたいと思いました。
ちょっとだけ、読書が身近になりつつあります。
そんなわけで、速読トレーニングに励み中。一日一冊、読み続けてます。
何が変わるだろう?
これ!ってものはまだ言えませんが、実験してみます。