視野が狭いことは自覚できない。広さがわからないから。
これが「視野が狭い」ってこと? 自分の視野に、初めて気づきました。
ほとんどの場合、自分の視野は自覚できていません。
なぜなら、視野が広いということがわからないから。
まずは視野の広さを体感する必要があります。
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速読講座を受けました。
講座の中で言われました。本を読んでいたときに。
「視野が狭いよ」
え? 普通に読んでるだけですけど?
よく意味がわからなかった。だって、見なきゃ読めないし。
でも、必死で読むと視野が狭くなるそうです。「読むぞ」という意識は、自分を狭くさせる。
目は前を見ているけれど、意識は後ろに引いていく感じが重要だそうです。世阿弥の「目前心後」という考え。
前だけを見ていると、見たいものは見えない。全体を眺めることで見たいものが見えてくる。
それは、スポーツでも同じだそうです。
本を読むときはどうするのかといえば、一行一行、一文字一文字、必死で見ようとしないということです。文字を追いかけない。
頑張って見ようと思ったり、頑張って読もうとすると、見えないし読めないのです。
ジーッと1点を見ることで、視野が狭くなる。
視野が狭いということは、前後の文脈が見えていない状態です。文字は文脈でしか意味をなしません。
だから、「意味がわからない」「まったく理解できない」、そんなときは、一か所だけを凝視してしまっている可能性があります。
視野を広げ、全体を視野に入れることで、文章の内容がより理解できるようになる。
必死で見ない。必死で読まない。
とても新しい感覚でした。
慣れるまではトレーニングが必要ですが。
その視野のもち方を意識していくと、生活の中でも見方が変わってきます。
何か問題が起きたとき。
その問題点をジーッと凝視してても解決策は見えてこない。意識と心を後ろに引いて全体を眺めるようにする。
そして、瞑想と集中を心がける。
そうすると、気持ちが安定してきます。
「なぜ、○○なのか?」「なぜ、こんなことが起きたのか?」と、問題をジッと見つめてる状態って、苦しいですよね。
視野を広げるだけで、ちょっとラクになるし安定する。そして、だんだんと見えてきます。
人の話を聞くときも同じ。
理解しなきゃと思って必死でジーッと聞いていても、聞こえてこない。
力を抜いて、軽やかにゆったりと聞いてみたほうが聞こえるのかも。
「理解するぞ」と、力を入れすぎると、集中ではなく執着になるそうです。
だから、他人のことも、ジッと見すぎないほうが、きっとうまくいく。
「なぜ、この人は・・・」と、そればかり見ていると、どんなに良いことがあっても見えなくなりますね。
視野を広げるとは、極端に言うと、幽体離脱です。
意識と心を後ろにもっていき、自分も含めた全体の姿を眺めるように。
必死で頑張っているときって、そういう視野がもてません。
視野の広さというものを自覚できていないからです。自分では頑張ってるだけですから。
よく言われる、「頑張らないほうがうまくいく」というのは、頑張る・頑張らないではなく、視野の狭さに問題があるのかもしれません。
決して、頑張らない生き方ということではないと思います。
ただ、視野を広くするということ。ゆったりと、ふわぁっと眺める。
それが、「頑張る」という定義。
よくわからないときは、言葉の定義から変えてみるといいですね。
こんなに頑張ってるのに…と思うなら、「頑張る」の定義を間違えているかもしれないのです。
そこがわかると、ストレスに飲み込まれることもなくなっていく気がします。
心の目で見るというのも、同じことかもしれません。
ゆったりと視野を広げるから、想像もふくらむのでしょうね。
視野を広げようと思うと、海外に行ってみたり、新しい経験をしてみたり、いろいろ試しますが、結局は自分の見方が変わらなければ、何も広がらないということです。
どこへ行っても、狭い視野でジーッと見つめてしまう。
自分の中に偏見や執着をたくさん抱えたままでは、何をしても、視野が広がることはない。
今まで気づきませんでしたが、指摘されて始めて自覚しました。
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本を読むときは、一文字一文字を必死で見ない。視野を広げて全体を見ること。
自分が活字を追うのではなく、活字のほうから自分の中へ飛び込んできてくれるそうです。
「大事なものはこれ!」というのは、自分の力でつかむよりも、視野を広げたときに、向こうから来てくれるものなのかもしれません。
追うのではなく、向こうから飛び込んでくる。そんな体験、してみたい。