悪い習慣を捨てる3つのステップとは?人格は日々の積み重ね|七つの習慣
成功法則を読んでも変われない理由。それは、習慣化してないから。習慣が、人格を磨いてくれる。
人の生き方には、普遍の原則というものがあります。(あるらしいです)
原則っていうと難しいけれど、原則に反した生き方はすぐわかる。自分が一番、わかってるはず。それを捨てられるかどうか? そこを考えてみればいい。
後まわし、短気、批判、わがままなど、生活を支える原則に反する深く根づいた癖を捨てることは、弱い意志とわずかな努力だけでできるものではない。しかし、その引力からいったん脱出すれば、全く新しい次元の自由を手に入れることができる。
「七つの習慣」を深めてみようと思います。
ichigo-it.hatenablog.com
習慣は、テクニックとは違います。毎日毎日、ルーチンワークのように続けられるかどうか。
ミュージシャンにとっての日々の練習と同じ。一日でも休めば、すぐに感性がにぶってしまう。遅れを取り戻すのは難しいのです。
地道にコツコツ、たんたんと続けること。その場しのぎの成功法則では意味がない。
その地道な積み重ねが、自身の人格となって、結果も光っていくというのです。
そのために必要なのは、知識とスキルとやる気だそうです。
知識・スキル・やる気
習慣を構成する3つのステップ
知識・スキル・やる気のレベルが高まるにつれて、古いパラダイムから解き放たれ、生活や人間関係がさらに高い効果性の領域に入ることになる。そしてこのプロセスは常に上向きに続く。
習慣を確立するには、次の3つの全てが必要だそうです。
- 知識:「何を」「なぜ」するか
- スキル:「どうやって」するか
- やる気:「実行したい」という気持ち
1つでも欠けてはいけない。
考えてみれば当たり前のことですが、「何をやるか」と、「なぜやるか」は軽視してしまいがちではないでしょうか。
スキルやテクニックの話を聞くと、なるほど、そうか!と思って、急激に始めてしまうことがよくあります。
猪突猛進。
で、すぐに熱が冷める。もしくは惰性で続ける。
「何」と「なぜ」がわかってないからです。
知識とスキルが別っていうのは、ちょっと新鮮な見方でした。
知識を深めることによって、何をやるか、なぜやるかがハッキリと見えてくるようです。
例えば、「相手の話を聴くこと」を実践しようと思ったら?
何を聴くか。なぜ聴くか。それがわかっていなければ、すぐに相手の話をさえぎって、自分語りを始めてしまいます。
なぜ聴くか?が、「相手の気持ちを理解するため」だとしたら、自分語りは抑えなきゃいけないことや、忍耐力の必要性などを、自分自身で感じることでしょう。
そして、どうやって聴くかというスキル面。また、相手を理解したいという気持ち。
まずはこの3ステップを意識してみると、少しだけ行動が変わるかもしれません。
なぜ聴くか?が、「相手をコントロールするため」だとしたら? 結果は明白ですね。
なぜ、知識・スキル・やる気が必要なのか
一次的成功と二次的成功
七つの習慣は、人格主義に基づいた一次的なものだ。これらの習慣を身につけることは、永続的な幸福と成功を支える基本的な原則を自分の中に深く内面化させることである。
- 一次的:人格と能力の向上
- 二次的:才能が認められる
この本では、原則という言葉がたくさん出てきます。
人格とは、原則を自分の内面に築くこと。
そのためには、原則に基づいた行動を習慣化することがカギのようです。
習慣は、毎日毎日当たり前のように繰り返される、いわば歯磨きのようなもの。
昨日磨いたから、今日はいいか、というものではない。
表面的でお手頃な手段だけを求めるのとは違う。
一時的に、その場だけで頑張ればいいのではなく、自分の生活にどれだけ根づいているか?ってことですね。
才能が認められるという二次的な成功が欲しければ、まず人格と能力を向上させるという一次的な成功に焦点を合わせることである。
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手法ではなく、原則に基づくこと
原則は手法ではない。手法は具体的な活動、あるいは行動である。したがって、ある状況で使える手法が必ずしも別の状況でも使えるとは限らない。
人格主義の反対を、個性主義と呼んでいます。
個性主義とは、性格を重視したもの。性格は、人格に比べれば、表面的な要素になります。
手法とは、手段と方法。
極端に考えれば、政治家の演説のようなものだと思えばいいですね。
政治家はやはり、見た目によって当選するかどうかが左右されるので、髪型や服装なども専属のコーディネーターを雇っていると思います。
話し方や、身振り手振りなども、コーチを受けてるはずです。
だけど、素晴らしい演説をする人は、素晴らしい人物か? 素晴らしい政治をしてくれるのか?っていえば、それとは別問題。
何かの発表の場では、どう見せるかが重要ですが、それらは、あくまでテクニックであり、これさえやれば成功できる!というものではない。
だけど、どうしても人は、わかりやすくて簡単なものに飛びつきます。
誰でもできる!とか、3分でできる!とか、これさえやれば大丈夫!とか。
ついつい、そういうものに頼ってしまう。
それとは逆に、人格を磨くって、難しいし面倒だし、つらい。
誰もが、自分磨きと称して、様々な努力を重ねますが、それは表面的で二次的なものにすぎないということです。
個性主義の教えによれば、何か新しい手帳やらセミナーやらによってもっと効率良く行動し、こうしたプレッシャーを緩和させる方法があるはずだという。
しかし、効率を上げることが、本当に問題の根本的な解決になるのだろうか。より少ない時間でより多くのことを成し遂げるだけで、本当に生活が良くなるのだろうか。
別に、手帳術がダメとか、効率化が意味ないとか、そういうことではなく、それらは二次的なものだと自覚しておくことが大事なのだと思います。
スキルもテクニックも大事。ただ、そのベースに、人格という一次的なものを、ちゃんと備えているのか?ってことですね。
だから、成功とか幸せって、性格の問題ではないのです。原則を、どこまで内面に築いているのか、習慣化できているか、それが大事。
ちなみに、一次的とは、第一番目という意味。最優先すべきものってことです。
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私は、歯磨きが苦手です。歯が痛くなって歯医者へ行くと、必ず歯磨き指導をされます。
ちゃんと磨けてないんです。
歯磨き粉って、スーッとするので、ちょっとだけでもスッキリして、磨けてる気分になってしまう。
心も同じ。
ちょっと楽しいことがあると、スッキリしてしまい、変われた気になる。
自分磨きと言いつつ、ちょっとスッキリしただけで、かなり磨けた気になってしまう。
だけど、一本一本、丁寧に磨いていかないと、ちょっとでも菌が残ってれば、それがいつしか痛みとなって苦しみがやってきます。
「ちょっとスッキリ」は意外と危険ですね。
毎日毎日の習慣になっているのか? 地道にコツコツとできているのか? スッキリを当てにするのはやめよう。
現代社会で出会う多くの人々は、まるでロボットのように機械的に振る舞い、自分のことを知りもせず理解することもない。唯一知っているのは、社会が要求しているイメージだけである。真のコミュニケーションをもたらす語らいの代わりに意味のないおしゃべりを繰り返し、心からの笑いの代わりに見せかけだけの笑顔をつくり、心底からの痛みの代わりに鈍い絶望感しか味わっていない。
(社会心理学者エーリッヒ・フロム)
エーリッヒ・フロムも、個性主義の弊害を語っていたそうです。
まとめると、こう。
- 人格主義:自己を知る・真の語らい・心からの笑い・心からの痛み
- 個性主義:社会の要求を知る・意味のないおしゃべり・見せかけの笑顔・鈍い絶望感
個性主義とは、表面的な生き方ということです。一方で人格主義は、自分の内面からにじみ出る、心からの振る舞い。
表面なのか? 心の底からなのか? そこを問いかけてみるといいと思います。
テクニックや技術的なものを身につけることは、ある意味で簡単。やればいいからです。
だけど、ここで言われている「習慣」とは、人格に関わるもの。すなわち、精神性です。内面的なものは目に見えないため、ごまかすこともできる。だから、つい逃げてしまいがち。
その場限りのものにしたくなければ、勇気を持って始めなければなりません。
個人的には、批判やわがままを捨てるというのが難しく感じてます。そこをどれだけ、新しい習慣に変えていけるか。見つめていきたいと思いました。
ただし、「相手を理解したい」という気持ちさえ、持てないことが多々あります。そこのやる気をどう引き出すのか? それもかなり難しいですね。面倒になってしまうと、何もできない。
必然にせまられるか、痛い目にあうか、本当に理解したい相手ができるか。
いずれにせよ、結局は、人間関係のなかでしか幸せも築いていけないもの。仕事も、顧客の気持ちを理解しないとヒット作なんて生めません。
クイーンがヒット曲を作れたのは、人の気持ちを考えたから。
また、当たり前の実践というのも、習慣の話に通じると思います。
磨く必要は、ありそうですね。
何を・なぜ?
どうやって?
心からの思いかどうか?
悪い癖を捨てて、ちゃんとした習慣を身につけてみよう