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クイーンの総合力に学ぶ、妥協はせずヒットにこだわる熱意|ボヘミアン・ラプソディ

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妥協をせずに一番を追い求める情熱。自分らしさと、チームワークと、人々のニーズを一致させて突き進んだ。


クイーンに学ぶところは大きいです。


自分らしさもいいけれど、ニーズがわからなきゃ意味がない。


クイーンのメンバーは一緒に仕事をして最高に良い人たちだったし、最高に才能があった。学のある紳士で、それぞれ性格にはっきりと特徴があった。


フレディ・マーキュリー~孤独な道化~


バンドとしては珍しく、それぞれが個性を発揮した。

クイーンにはすべてそろっていた。ジョンが寡黙な頼れるベーシスト。ブライアンが天才的ギタリスト。ロジャーがロックスターを絵に描いたような夢みたいなドラマー。それに、フレディ・マーキュリー。偉大なショーマン。たぶん、史上最大のショーマンだ。
(カナダの人気DJ)


クイーンのすごいところは、フレディの独走ではなかったところ。四人それぞれが、それぞれの才能を発揮し、総合力として威力を発揮していました。


普通、バンドというと、誰か一人に注目が集まり、他のメンバーは存在感が薄れてしまうものです。だけど、クイーンはそうじゃなかった。


なんと、四人全員が、ヒット曲を生み出しているのです。


代表的な曲を挙げれば、次のとおり。


フレディ:We Are the Champions
ブライアン:We Will Rock You
ロジャー:レディオ・ガ・ガ
ジョン:ブレイク・フリー


全員が作曲をして、全員がヒット曲を生み出しているって、すごいことですね。


もちろんメインは、フレディとブライアンだったようですが。


ただ、そのメインの2人も、嫉妬でいがみ合うということはなかったそう。衝突することは当然あっても、基本的には尊敬し合っていたのです。


何より、フレディの圧倒的なパフォーマンスに、ブライアンは喜んでいたようです。おかげで自分は、自分のパートを思いっきりこなせる。そんな役割分担を快く思っていたと。


映画を観てて驚いたのは、誰も、自分の作品にこだわってないことです。ベストな曲を選ぶことが優先。フレディの曲ではなく、自分の曲を使え!ってことは言わないのです。


ボヘミアン・ラプソディの発売を拒否され、ロジャーの作曲した "I'm In Love With My Car" のほうがいいのでは?との提案に、ロジャー自身も、「は? 何を言ってるの?」というような冷めた表情をします。


普通なら、自分の曲が評価された!と、舞い上がりそうじゃないですか? フレディの曲よりも売れてほしいと。


だけど、そんな主張は一切しない。「ボヘミアン・ラプソディ」じゃなきゃダメなんだと全員が言い張る。


自己の利害よりも、グループとしての価値を一番に考える。本当に良いものを良いと認める。たとえ自分の曲じゃなくても。


なかなか、できないです。そんなところからも、クイーンの天才ぶりが垣間見えました。


クイーンの場合、ブライアンはフレディの曲が売れたことをただひたすら喜んでいるようだった。そのおかげでアルバムがバランスのとれたものになったし、そういう考え方ができるというのは天才だ。

.


クイーンはバンドであり、フレディ個人の作品ではない

たしかに伝説になりたいとは思うけど、でも僕たちの仕事は共同作業だというのはわかってもらいたい。クイーンはフレディ・マーキュリーだけじゃないんだ。バンドなんだ。
(フレディ)


他のメンバーと同様、フレディも、自分だけで成り立っているわけじゃないことを、決して忘れません。


そんなふうに言えるところも、すごいです。普通なら、ソロで好きにやりたいと思ったりするものです。


特に、最近の日本のグループというのは、商業目的の寄せ集めという側面もあり、本当に不仲だったり、自分が一番になりたいという欲望で争っていたり、そんな姿しか見かけなくなりました。


そんななかで、バンドとしての価値を心から大事にしているというのも、感動を生み出す理由の一つでしょうね。


これまでで僕が出来にもっとも満足している『ボヘミアン・ラプソディ』を思い起こせばそれがわかる。全部、クイーンだ。フレディの作品というわけじゃない。作品が、観客に対する僕たちの敬意を一番よく物語っていると思う
(フレディ)

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知性で勝った集団

彼らには知的な雰囲気があった。この人たちはどんな道を選んでいたとしても成功しただろうな、と思った。


映画にも描かれていましたが、レコーディングの際に、新しい音を創り出そうと、様々な工夫と努力が重ねられていました。水を使ったり、コインを使ったり。やはり頭がいいです。


特に、ボヘミアン・ラプソディは、常識破りの作品。


技術的に言えば、めちゃくちゃな曲だった。それまでに知られていた、従来の商業的なルールにはまったく従っていなかった。夢やフラッシュバックやフラッシュフォワードや短いシーンや完全に何のつながりもないアイデアをただつなげただけなんだ。シークエンスも、曲調も、色合いも、テンポも、一切理由はなさそうなのに突然変わる――それはまさにオペラがそうだ。
(ラジオ・テレビの大物プロデューサー)


型破りな曲を作る。


仕事にしても何にしても、定番のルールというものがあります。「こういうときは、こうすべき」「こうすれば、間違いない」


だけど、時には型を破ることで、生み出されるものがある。それが天才的な才能だというなら、「こうすべき」とこり固まるのは、頭が悪い証拠かもしれません。


ブログを書いていても、「ブログはこうすべし」というものがたくさんあって、そこにこだわりすぎると、ツマラナくなります。皆がやってるというのは、結局のところ、普通でしかない。


時には自由に、何かを生み出してもいいことを、ボヘミアン・ラプソディを聴いてると感じますね。


かと言って、型を破ればいいという単純なものでもない。


「型を破らなきゃ」ってことが、新たな型になってしまいます。


アイディアに煮詰まったときに、また映画を観てみると、ひと味違ったものを学べると思います。


妥協をせず、ヒット曲をねらう

クイーンがほかのロックバンドとは違ったのは、積極的にヒット曲を狙って書こうとしたことだ。世界一のミュージシャンだって、世界中の人々が口ずさむような三分半の至宝の一曲を作るのは大変なことだ。それができて、しかもミュージシャンとして優れていたら、それはまさに大当たりだ。そこにクイーンが大成功した秘密がある。


クイーンはヒット曲にこだわった。その姿勢にはハッとしました。


どんなミュージシャンでも、やはり、ヒット曲ばかりを量産するのは難しい。


それに、できるなら、ヒットを気にせず、自分の好きな曲を自由に歌いたいということも、よく言われることですよね。


だから、シングル曲ではなく、アルバムの中にこそ、その人自身の本当の思いがつまっていたりとか。


意図的にねらったものより、思ったようにやりたいという気持ちは、音楽だけではなく、日常的にあると思います。


他人から求められるものではなく、自分の好きなものにこだわりたいという気持ち。


自分の信念にこだわるか、他人のニーズを大事にするのか、ちょっとしたことで葛藤することもあります。


受け入れられなきゃ意味がない。だけど媚びるのも違う気がする。自分と他人との間で揺れ動くことのほうが、多い。


そして、「自分らしくていい」という言葉でごまかすんですよ。「自分は自分」と。


だけどクイーンは、常にヒット曲だけをねらった。


とてもグサッときました。


要は、他人が喜ぶものを追求したということです。


自分が好きなだけではなく、どうすれば皆が喜んでくれる作品になるか、どうすれば売れるか、そこを考える。


人びとの求めるものがわかっているということです。人の気持ちを、ちゃんとわかっている。


求めてもいないのにゴリゴリと押しつけられるのは、やはり不快ですよね。「この価値がわからないなんて、バカだな」と見下されている時点で、受け入れる気もサラサラなくなってしまいます。


挙句の果てには、「あなたのためなのに!」 


言われたほうは、いい迷惑。

自分にできること(技術)
自分がやりたいこと(好き)
人びとの求めること(世間のニーズ)

この3つがガッチリと組み合わされてることが、重要ですね。


クイーンは時代の精神を読み取っていた。音楽ファンが何を求めているかに耳を傾けて、そのさらに一歩先を行った。


ナンバーワンよりオンリーワンと言いつつも、一番になれないことにモヤモヤしている。


働ける場所があるだけで有り難いと言いながら、収入の低さにブツブツ文句を言う。


そんな見せかけの美しさよりも、一番になってやる! 稼いでやる! その心意気で頑張ってるほうが、よっぽど素直で純粋で、気持ち良い。


なんだかんだと言い訳せずに、欲しいものは欲しいと言ったらどうか?


「人生は金じゃない」と言ってる人ほど、お金にこだわってるんです。


「地位や名誉なんて関係ない」と言ってる人ほど、地位の低さにコンプレックスを感じています。


「人は、見た目じゃない」と言ってる人ほど、美しい人をうらやんでいます。


もっと素直に、自分の欲望を出そう。"美しい言い訳"って、もっとも汚れている。


今日は気取りだと見られているものが、明日は芸術として見られることはしばしばある。大事なのは、見られることだ。
(フレディ)


どう思われるかを気にして、表に出せない。恥ずかしくて、隠れたくなる。そんなことも、いろんな場面でしょっちゅう思うことですが、見られてこそ評価もされる。


常に出して、見せていく。一番にこだわる。


素直に生きたいという願望を刺激されますね。


フレディが『ボヘミアン・ラプソディ』でなし遂げたことを、マイケルは『スリラー』で再現した。つまり、偉大なアーティストというのは心得ているものなんだ。本能的に、マルチメディアなんだ。フレディの才能は、自分が手がけた歌や、歌がどのように聞こえるかということを理解していただけじゃなく、観客の心に伝わるような、同時代的なやり方で歌を届ける方法を理解していたということなんだ。
マイケル・ジャクソンの広報担当)

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フレディの死は、メンバーに大打撃を与えた

彼の死は乗り越えられないよ。僕たちの誰も乗り越えられてない。すぐに受け入れられるだろうとみんな思っていたんじゃないかな。でも、彼の死が僕たちの人生に及ぼす影響はそんなちいさなものじゃなかった。今でも話すのも辛い。フレディのいない今も、未来も、考えられない。僕はその日その日で何とかやってるよ。
(ロジャー)


フレディの死後、ブライアンとロジャーはクイーンであることにこだわり続け、音楽活動を精力的におこなったようですが、もともと内向的だったジョンは、深刻なウツ状態になってしまったそうです。


活動を続けたブライアンとロジャーでさえも、乗り越えることはできていない。それほどまでに、大きな存在だったのです。


ロジャーが懐かしく思っているフレディは、スーパースターの陰にある彼の魂――幻想を追い求めた、どこまでも人間らしいひとりの男だ。それは批判も買ったが、何百万人の人々を喜ばせもした。フレディは自分のやり方を貫いた。謝ることもなければ、同情を請うこともなかった。自分を形作る矛盾の数々にがんじがらめになっても、歌が彼を解放してくれた。


身近な人々にも、世界中の人々にも、惜しまれた天才。


映画の大ヒットによって、今でもなお、新しいファンを獲得し続けています。


妥協をせずに、ヒット曲を必ずねらうという執念が、もたらしたものではないでしょうか。


彼の死後、「信じられないことに、クイーンは英国でのアルバム売上でビートルズを抜いた」


言い訳なんかせずに、欲しいものは欲しいと言う。ガッツリと一番を目指す。他人が喜ぶものを提供してこそ伝説のチャンピオン!

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