ボヘミアン・ラプソディを極音で観ながら、フレディのルーツを探ってみた
フレディのルーツはとっても複雑。アイデンティティの葛藤を抱えるのも当然です。
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映画「ボヘミアン・ラプソディ」が頭から離れなくなってしまい、もう一度、観にいくことにしました。
そして、爆音上映が気になって調べていたところ、なんと、極音上映というものを発見! 立川シネマシティです。
さっそく、立川へ。
しかし、映画ではよくわからない部分もあったので、本を読んで予習することに。
読んでみたところ、彼のアイデンティティの葛藤が、本当に深かったことを感じました。映画がより理解できたので良かったです。
そして、個人的には、IMAXよりも極音がおススメ!
ぜひ、お試しを。
極音でボヘミアン・ラプソディを堪能してみた
フレディ・マーキュリーはアイデンティティに苦しんでいた
子供時代に愛情をあまり受けてこなかったために、自分は「大人になってから肉体的な愛に異常に固執してしまう」ようになったのだろうか、とフレディはたまに考え込んでいたそうだ。
フレディのルーツは、複雑です。
両親はインド人。しかし、当時のインドは、イギリスの占領下だったため、イギリス国民になります。
ただし、人種はパールシー。インド在住のペルシャから逃れてきたゾロアスター教徒のことで、ペルシャ系インド人とも呼ばれます。
(ペルシャとは、現在のイランのあたり)
その昔、ペルシャでイスラム教徒に迫害されたゾロアスター教徒が、インドに逃げたのだそうです。
だから、ペルシャ系のゾロアスター教徒は、もともとのインド人というわけではない。
そして父親は、植民地政府のオフィスで会計係として働いていて、仕事のためにザンジバルへ移ったようです。
ザンジバルとは、当時、イギリスの保護国だったタンザニアにある島。アフリカですね。
その地でフレディは産まれました。
ただ、そこでの教育水準が低かったため、両親はフレディを、インドの学校へ送ることに決めました。フレディが8歳のときです。
そのため、フレディは8歳〜18歳まで、インドで一人で過ごすことになります。
18歳になると、植民地が解放されたことで、ザンジバルではアフリカ人勢力が強くなり、フレディは家族と一緒にイギリスへと移り住みます。要は、命からがら逃げ出したのです。
ちょっと混乱しますよね。
インド人でありつつも、植民地だったためにイギリス国民だった。しかも、もともとのインド人ではなく、昔、ペルシャから逃げてきた人々の子孫、パールシーである。
そして、生まれはアフリカ。だけどそれも7歳までのこと。8歳~18歳という多感な時期を、インドの寄宿舎で親元から離れて過ごした。
要するに、(祖先は)ペルシャから逃げてインドへ行き、インドは植民地にされてイギリス国民となり、仕事でアフリカへ行き、アフリカが解放されたことで今度はアフリカから逃げてイギリスへ。
祖先からずっと、逃亡続きの人生ということになります。
アイデンティティに苦しむのも当然と言えそうです。
それに加え、幼いフレディは、家族から離れて1人でインドで暮らさなければならなかった。
もちろん、いい教育を受けさせたいという両親の愛情だったのですが、幼いフレディには、親に見捨てられたという寂しさが残ってしまったようです。
両親とは毎年一度、一ヵ月の夏休みに会うだけだった。ふたりとの間に距離が生まれたのも無理はない。それは、丁重だが感情のこもらない両親宛の手紙にも明らかだった。泣き言を言わずに我慢しなさいと教わってはいても、家から遠く離れた少年が、親が恋しくなっても家に電話をかけることすらできなかったというのは、さぞかしさみしく心細かったことだろう。
映画では、自分のルーツを友人にも恋人にも隠していたし、両親ともよく衝突をしている様子が描かれていました。
詳しいことがわからなかったので、なんでだろう?という疑問が残っていたのですが、こんなにも複雑なアイデンティティの葛藤があったわけです。
親しい人にも内緒にしていたということ自体、苦悩の深さがうかがえますね。
彼は自分の過去を隠していた。本当の名前すら教えてくれなかった。
(クイーンの最初の広報担当者)
しかも、両親は厳格で保守的な性格であり、愛情表現も下手だったようです。生まれたときから乳母に育てられ、両親に抱きしめてもらったこともないそう。
私の両親も、愛情表現には少々の問題があったので、私もずいぶん苦しみました。まして、一人で寄宿舎に送られていたらどうだっただろうと思うと・・・、ゾッとします。
かなりの悲しみだっただろうなと。
そのうえ、自分がどこの国の人間なのかさえも複雑なのです。日本で、ずっと親元で暮らしてきていても、自分は誰なんだ?と悩むのに、どれだけの悲哀なのか・・・、想像もつきません。
それにフレディは、人一倍、寂しがり屋で繊細な性格。きっと、乗り越えるのに苦労したはずです。
それを知って、改めて映画を観てみたら、フレディの悲哀と孤独がヒシヒシと伝わってきて、ものすごくグッときました。
コンプレックスへの苛立ちから、たまにフレディは怒り狂うことがあったのだろう。なぜか突発的に機嫌が極端に悪くなることがあり、冷たいどころか残酷にもなり、強烈な嫌味やいわれもなく悪意のある言葉を投げかけることがあった。
自分のルーツへのコンプレックス。両親から見捨てられたというコンプレックス。愛情不足のせいで、肉体的な愛に固執してしまうというコンプレックス。自分の容貌(ペルシャ系の顔、出っ歯など)へのコンプレックス。
フレディは、いろんなコンプレックスを抱え込んで苦しんでいたようです。
そんな視点で映画を観ていたら、一回目の鑑賞ではわからなかったことに気づきました。それは、メンバーのフレディに対する愛情です。何ていい人たちなんだろう・・・と思いました。
確かに、フレディが怒るときは、とんでもない悪態をつく。観ていて驚きました。あれじゃあ、メンバーも耐えられないだろうなぁと。でも、フレディのことを理解していたから、バンドの解散には至らなかったのでしょうね。
一回目では、フレディにしか目がいかなかったのですが、二回目では、フレディの孤独と、それを見守る人たちの愛情が感じられて、やっぱりクイーンはいいバンドだなぁと思いました。誰か一人の力ではなく、総合力です。
そんな深い孤独と悲哀が音楽ににじみ出て、たぐいまれな音楽の才能とあいまって、あの感動的な歌声となって響いてくる。
クイーンの世界観はやっぱり奥深い。
孤独感に満ち満ちたフレディですが、やはり、メアリー(結婚を約束していた女性)との出会いは特別な意味があったようです。
子供の頃、親の不在でできた大きな穴を、メアリーが埋めてくれていたんだ。フレディの親は、小さなフレディを船に乗せて、何千マイルも離れたところの学校にやったんだ。当時は60日もかかる船旅だ。フレディはたったの8歳だったんだよ。想像できるかい? 心の一番奥深いところでは、そんな経験、乗り越えられたはずがない。そうしたらメアリーと出会った。
(音楽評論家の話)
メアリーとは、別れた後も交流が続いていて、すごく不思議な関係に思えたのですが、この本を読んだら少し理解できました。恋人関係も超えるほどに、すごく深い絆になっていたんです。
その話は、また次回に。
ついでに映画館の話。音響にこだわる立川シネマシティ
映画ファンの理想を実現したつもりです。そして価格を下げることで同じ作品でも何度も観てほしいという願いがあります。美しい音、気持ちいい音には麻薬的な魅力があるからです。
(立川シネマシティ・企画室室長)
この映画館、何がすごいって、6000万円もするスピーカーを使用しているんです! それも、映画用ではなく、音楽コンサート用の世界最高クラスのスピーカー。
しかも、映画ごとに、音響のプロが音を調整をしているという丁寧さ。ただ単に、音がデカいのではなく、ライブの再現を目指しているそうです。
極音とは、「極上音響上映」という意味。まさに、極上な音響を提供してくれます。音を楽しむにはピッタリ。
また、IMAXの場合は追加料金が必要なのに比べ、なんと極音は通常料金と同じ! めちゃめちゃお得ですね。
まぁ、交通費を考えたら同じですけどね。
ただ、都心のようにゴチャゴチャしてないから、街も歩きやすいし、映画館自体もすごくオシャレで。まさに、芸術を鑑賞しに来たという雰囲気を味わえます。
シアター自体もすごくオシャレなんです。足を踏み入れたとたんに、その雰囲気だけで癒されました。
しかも、会員になれば、平日はいつでも1000円! 土日祝日でも1300円です。会費は6か月で600円、1年で1000円という格安さ。
6か月会員なら、1回観るだけでも十分に元は取れますよね。どうせまた観にいきたくなるだろうから、会員になっておけば良かったな~と後悔しています。
次は行かないかも・・・と思っても、とりあえず会員になっておくことを推奨します。
で、IMAXとどう違うかというと、IMAXの場合は四方から音が聞こえてきましたが、極音は、前方からのみだった気がします。もしかしたら、わざとなのか?わかりませんが。
なぜなら、ライブだと、前方からの音がメインですよね。そんな臨場感を大切にしているのではなかろうかと思いました。
そして、個人的な好みですが、私はIMAXより良い!と思いました。どっちみち通常料金で観られますから、損した気分にもなりません。
ゆったりとリラックスできるし、映画館から映画愛も伝わってくるので、それだけでも来た価値があるというもの。映画というより、イベントに行く感覚です。
ちょっと足をのばしてもいいかな?と思えるなら、極音がいい。都心でのIMAXより、かなりおススメです。
1回目は、IMAXで鑑賞しました。
ichigo-it.hatenablog.com
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それにしても、この映画が幅広い世代に愛されているというのは、やはり誰しもが、アイデンティティの葛藤に共感する部分があるということでしょうか。
普通に暮らしていると、自分以外の人は、みんな幸せそう・・・っていう幻想にとらわれることがあります。
「私って、こんなに幸せ!」という姿しか見えてこないからです。もちろん、不幸話や愚痴を聞かされても困っちゃうものですが。
幸せ満載の姿ばかりを見せられ続けると、なんだか閉塞感のようなものがつのってきたりもする。
だからこそ、こういう映画をとおして、誰にも悲哀はあるものなんだということを知れると、非常に共感するのかもしれません。
自分以外の人は、自身の悲哀をどう乗り越えているのか? そこが知りたくなってくる。そして、安心と希望を見出す。
悪く言えば、「他人の不幸は蜜の味」ってこともありますけどね。幸せそうに見える人も、実は苦悩を抱えているんだってことを知りたい。そんな本然的な欲求があるのかも⁉
ただ、フレディの偉大さは、その悲哀を歌にぶつけ、私たちに感動を与えてくれるところです。
そんなふうに、自分の人生すべてを、人のために活かす。すべてをぶつける。だから、心に響くのでしょうね。
やっぱり、出し惜しみをしない!って素晴らしい。
それは、さかなクンの生き方からも学びました。
ichigo-it.hatenablog.com
彼は『ボヘミアン・ラプソディ』で成長した。突然、甘やかされた、こらえ性のないガキだらけの音楽業界で、フレディが唯一の大人に思えた。クイーンは自分たちのやっていることをはっきり自覚していて、しかも紳士的だった。あんなに努力するバンドは見たことがない
クイーンの歌を聴くと、出し惜しみをしないことの大切さと、悲哀を乗り越える勇気を感じる!