ichigo's blog

気軽な日記ブログです

妥協しない。「イエス」と言うのは、絶対!と確信したときだけ|エッセンシャル思考

f:id:ichigo-it:20190216000853j:plain:w600

絶対にイエスだと言いきれないなら、それはすなわちノーである。


もっとも厳しい基準で決めること。


「選択」「決断」をするためには、自分の本質を知らなければならない。


「絶対やりたい!」、さもなければ「やらない」。二択で決めよう。


**


エッセンシャル思考を学びました。
ichigo-it.hatenablog.com


ただし、エッセンシャル思考は簡単ではありません。苦しみと葛藤のなかから、つかみとるもの。


90点未満なら0点と同じ。「イエス」と言うときは、絶対なる確信を持てたときだけ。


「自分らしさ」には、覚悟が必要です。


「エッセンシャル思考」

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする



「90点ルール」を自分に課そう

非エッセンシャル思考の人は、周囲の期待やプレッシャーに負けて、不本意なイエスを言ってしまう。よく考えもせず、相手を喜ばせるためだけに仕事を引き受ける。単純に、そのほうが気分がいいからだ。


選択肢がいろいろあるとき、とても迷います。


妥協も大事では? 頑固になってるだけでは? 完璧主義なのでは?


だけど、あれこれ考えてる時点で、「これだ!」と思えてないのでしょうね。


周囲から、「少しは妥協もしなきゃ」と言われて心が揺らぐときは、たいてい、自分が妥協したくなってるときです。


もう疲れた。もう考えたくない。この悩みから早く解放されたい。


そうして、手っ取り早いところで手を打ってしまう。


だけど・・・、やっぱり満足はしません。


妥協だと思ってたら、自分に満足なんてできないのです。


だから、エッセンシャル思考とは、ものすごい戦い。


どこまで自分の望みを追求していいのか? 目標を変えたほうがいいのか?


すべては自分で決めることですが、もしかしたら、期待に応えることで良い気分に浸っているだけでは?ということも、疑ってみたほうがいいかもしれません。


引き受けるという行為は、一時的には満足をもたらします。「いい人」扱いされて、テンションが上がります。だけど一瞬で下がってしまうことも、しばしば。


【非エッセンシャル思考】

  • 何にでもイエスと言う
  • 「みんながやっているから」やる


【エッセンシャル思考】

  • 上位10%にだけイエスと言う
  • 「まさに自分の求めていたことだから」やる


90点未満のものは、すべて却下する。


「自分に正直に生きる」って、実はとても厳しいのですね。。


「やろうかな」程度のことなら却下する

エッセンシャル思考を生きる人は、周囲の人と同化しない。人がイエスと言うとき、あなたはノーと言う。人が行動するとき、あなたは考える。人がしゃべるとき、あなたは耳を傾ける。人がスポットライトを浴びようと押し合うとき、あなたは陰に立ってしかるべき時期を待っている。


みんながやっていることを「やらない」とき、とてつもない不安に襲われたりします。


自分勝手なんじゃないか?とか。損をするのではないか?とか。


周囲と同化したい。それも本質的な欲求とも言えそうですが、どうなのでしょうね。


SNSを見て心がざわつくとき。キャッキャしてる人たちを見るとき。自分だけ嫌われているように思えるとき。


だけど、その中にはやっぱり、自分の本質はないかもしれない。


周囲は、同化してくれない人に対して、いろいろと言います。「頑固だ」「自己中心的だ」と。


でも、世の中の大半の意見はノイズだと心得てみよう。

ichigo-it.hatenablog.com



本当に成し遂げたい「同化」とは、きっと、本質的な自己との「同化」。そのときこそ、本当の満足が得られるのではないでしょうか。


周囲に流されないということが、エッセンシャル思考において大事なこと。


そこまで本気で、自分と向き合えているだろうか?


「エッセンシャル思考」ですから、必死で考えるしかなさそうです。


(TEDの人気スピーカー、デレク・シヴァーズは)世界各地でのイベントの予定が入っていても、本気でわくわくしなければすべてキャンセルし、家でやりたいことをやっている。気乗りしないカンファレンスに出るより、そのほうが生産的だからだ。


「わくわく」を選ぶというのも、信念があってこそ。
ichigo-it.hatenablog.com



決断できないなら、きっと、「イエス」ではない。
ichigo-it.hatenablog.com



本質的なことだけに「イエス」と言える自分。それこそが「自分らしさ」なのかもしれません。