本を速く読むことは必要なのだろうか?~速読講座を受けてみた
速読は必要か? 速く読めると何がいい? そんな疑問を解決したくて、速読講座を受けてみました。
わかったことは、なんとなくやってることは、コントロールができないということ。
何事も、意識して続けないと上達しないのです。
読書も、なんとなく読んでるだけでは、速くならないどころか、身につくものもないのだなと思いました。
スポーツや音楽と同じで、トレーニングが必要です。
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アウトプットをしようと思うと、インプット量が圧倒的に足りないことに気づきます。ブログに限らず、仕事や生活はすべてがアウトプットと言えます。
たとえば、学生時代のクラスでの話題は、昨日見たドラマの話とか、芸能人の話とか、テレビで見たことをアウトプットしているわけですよね。
仕事の場合は、業界の動向とか、世界の動きとか、新聞や本でインプットしたことをアウトプットしている。
技術にしても、学びの段階はインプット。活用がアウトプット。
すべては、インプットがあってアウトプットがある。アウトプットしたくても、インプットがなければ、どうにもならない。
そんなことに、最近になって気づき始めました。インプットをおこたり続けたことに、後悔です。
アウトプットをメインにしつつ、同時にインプットを増やさなきゃいけない。
今後どうすれば、効果的にインプットを増やしていけるだろう?
そんな悩みを抱えていたところ、速読講座の存在を知りました。
とりあえずは読書量が足りないと思っていたので、「速読」という言葉にとてつもない魅力を感じてしまい、勢いで申し込んでしまいました。
だけど、申し込んでから、突如として大きな迷いが生じてきたんです。
そもそも速く読むって大事なの? 速さよりも、理解度が大切なんじゃないの? それに、読書法って、お金を払ってまで学びにいくものなの?
なんだか急に、不安になりました。私にとっては結構な金額だったため、無駄遣いになってしまったらどうしよう?と。
ただ、申し込みと同時に決済もしてしまったので、もう取り消せません。申し込んでから受講日まで2か月ほどの期間があったので、ちょっとツラかったです。
そして、ついに迎えた受講日。
結論から言うと・・・
すごく面白かった! 受講して本当に良かった。
たくさんの発見がありました。
なんて奥深い読書の世界。本格的に読書に取り組みたくなってきました。
本当に価値のある講座でした。
速読については、まだまだトレーニングが必要ですが、気づいたことを少しずつ書いていきたいと思います。
まずは、なぜ速読が必要なのか?ってことから。
速読って、本当に必要?
当然のことながら、インプットの目的はアウトプットです。インプット自体に目的はない。
たとえば、ビジネス本を大量に読んだからといって、実際に仕事での悩みが解決しなければ何の意味もありません。
だから、読む前に目的を考えましょうというのは、読書術としてよく言われることです。
小説なら、楽しみたいとか感動したいとか、それも立派な目的だと思います。
ただ、読書でIQが高くなるというのは、小説だけでは効果はなく、幅広く読んでこそだそうですが。
じゃあ、速読は必要なのか?っていう疑問ですが、どんな仕事にしても、または趣味にしても、専門書を読む必要性にかられることって、ありますよね。
多く読むと、自分自身の安定感が違ってくると思います。
脳が活性化するからです。
新聞も同じ。毎日きちんと読むって、ひと苦労。それが速く読めるようになれば、世界の動きがよくわかるようになる(はず)。
速読の技術があれば、インプットの時間が短縮できます。
いろんなところで、効果は大きいのではないでしょうか。
ちなみに、速読の考え方については、七つの習慣の話にも通じることが結構ありました。
やはり読書は、吸収力を高めてくれるような気がします。
読書量が少ないので、まだ予想レベルですが。
実体験としてはまだ何も言えませんが、読書量によって今までにない知性が身につき、世界の見え方が変わってくるそうです。
なぜ、トレーニングするの?
速読が有益だとしても、お金を出してまで学ぶものなのか? そこまでしてトレーニングするものなのか?
そこが、不安の種でした。(ぼったくりセミナーだったらどうしよう?)
だけど講座が始まってすぐに、そんな不安が消え去りました。
私は、セミナーとか講座とか、参加するのは好きなので、たまに出かけます。
ただ、自分自身の性格の問題ですが、しばらくは不安状態が続き、来たのは間違いだったかも?と警戒心が解けないでいることが多いです。
終わってみて、あぁ良かったと思うパターンが多い。もしくは、警戒したまま終わってしまうか。
正直なところ、なんちゃって講師も多いのです。逆に、素晴らしい講師の場合は、講師との距離が遠いですし。
だけど今回は、読書研究をかなり真剣にされている講師で、国際学会にも参加予定だそうです。
子ども対象の速読講座も開催していて、教え子は皆、成績が上がってるのだとか。
すべてが、実証結果や科学的根拠に基づいた話で、納得ができることと、質問には何でも答えてくれるという距離の近さ。
どれだけ近いかっていうと、全員の名前をすぐに覚え、名前を呼んでアドバイスしてくれるほどです。
私にとっては、ものすごく心地の良い雰囲気で、スタート時から感動の連続でした。
そして、気づいたこと。
読書は、スポーツや音楽と同じである。
トレーニングが必要なんです。
今までは、量をこなしていけば、そのうち速くなるんじゃないの?と思ってました。
その考えが急転回。
学術的なメカニズムを理解し、ちゃんとしたトレーニングを受けないと上達しない。
自己流の解釈を続けると頑固になるし、独自のやり方では変なクセがついてしまいます。
それは、パソコンのブラインドタッチとも同じだなぁと思いました。
偶然ですが、速読講座を受ける前日に、ブラインドタッチをマスターしたほうがいいという記事を書いたところでした。
会社で、周囲の人のパソコン操作を見るにつけ、もどかしさを感じていたんです。パソコンを毎日さわっているのに、速くならないのはおかしいと。
営業マンは仕方ないです。営業がメインですから。パソコンが苦手、事務処理が苦手というのは当たり前だよなぁと。技術職の人もそう。
ただ、事務職の人でさえも、遅い人がいるんです。
それに、営業マンでも技術職の人でも、パソコンには毎日さわっています。
ならば、もっと工夫すればラクになるのに...。そうすれば、面倒な事務処理もパパッと終わらせて、本来の業務に集中できる。
だけど、あまり変わりません。
結局のところ、どんなに毎日さわっていたところで、「練習しよう」「速くなりたい」という意識がなければ、速くはならないということです。
脳の動き方が違うのです。
そのことを、速読講座のなかでも言われました。
なんとなくやってることはコントロールできない
スポーツ選手は、自分の体の動きを把握しているそうです。どこの筋肉を使っているとか、どこがどうなると良いとか悪いとか。
なんとなくやってることを、意識してやる。
自己管理をしたほうがいい理由は、自由自在に自分をコントロールできるようになるからです。
意識して始める。トレーニングを重ねる。自分を知る。それが、上達への道。
最終的には感覚の世界になります。
野球にしても、どうすればバットにボールを当てられるのか?といえば、感覚なのでしょうね。その感覚は、トレーニングをしないと手に入らない。
ブラインドタッチも、考えてやってません。感覚です。手が勝手に動きます。
速読も、同じだったんです。
トレーニングによって、目が勝手に動くようになるそうです。
どんなトレーニングかというと、わりと体育会系でした。
なお、東大卒のエリートや大学教授は、速読を教えても上達しないそうです。独自のクセがあるから。
上達したいなら、自分のこだわりは捨てること。
とても有意義でした。久々に、受講して良かった!と心から思えた講座でした。
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ちなみに、ブラインドタッチを以前より意識してみたところ、自分のクセがどんどん判明してきました。
やはり、自己流では身につきません。ちゃんと決められた指で打つこと。独自のクセは、上達をはばみます。
ただし、速く入力できればラクになるのに...というのは、その速さを体感できてない人には想像がつかないのだと思います。
インターネットだって、昔は今みたいに高速ではありませんでしたが、当時はそれしか知らなかったので別になんとも思いませんでした。「高速」と言われてもピンとこなかったほど。
だけど、一度でも体感してしまうと、もう遅い世界には戻れない。
速読術も同じです。それができたら何が変わるのか?というのは、体感できてないのでよくわかりません。
わからないからといって、別にいいかな?と思っていたら、永遠にわからない。
なので、良さがわかるようになるまで、トレーニングを続けてみようと思います。
トレーニング段階は結構ツラいです。速くなくてもいいんじゃないか!という迷いと葛藤が、次々とわきおこってきます。
ただの逃げと諦めなのに、最もらしい理由をつけては、こんなのは必要ないと偉そうに語る。それが今までのパターンでした。
そんな自分の欠点を、克服するキッカケにもしてみようかと。
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速読やパソコンに限ったことではなく、人それぞれ、エネルギーを注ぎたい部分はあると思います。
誰もが、何らかのことでトレーニングを意識していることがあるんだろうなぁと思ったら、人間ってすごいなと勝手な妄想がふくらみました。
自分がボーッとしてた間に、どれだけの人が、どんなトレーニングをしていたんだろう?
少し自己嫌悪も感じましたが、では今、興味をもったことを続けてみたら、10年後の自分はどう感じているのか?
あいまいな結論ですが、速読は必要なのか?という答えとして、現段階では、そんなところに行き着いています。