ichigo's blog

気軽な日記ブログです

疑問点が学習の第一歩。疑問に思わないことは学ばなくていい。

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まず疑問ありき。そして、その疑問は、自分の中から自然とわいてきたものであるべき。


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私は、読書は好きじゃありません。


でも子どもの頃から、音読は得意でした。


得意とはいっても、音読をさせられたときに、周囲の人はつっかえつっかえ読むのに私はつっかえずに読めた。その程度ですが。


つっかえずに読めるだけで、親にも先生にも褒められる。だから国語が好きでした。読むだけで褒められるなんて、ラクだなぁと。


あるとき突然、担任の先生が「若草物語」をくれました。「あなたは本が好きみたいだから、この本をあげるわ」と。


小学校2年生のときです。今思えば、いい先生ですね。生徒に本をあげるなんて。


だけど、ちょっとだけ本を開いて、すぐに閉じました。本が好きだったわけじゃないのです。


読みたくなかったのですが、申し訳なさもあったので少しずつ読み始めました。1年くらいかかったでしょうか? 頑張って読んだけど、やっぱり面白くなかった。


読書はつまらないと思いました。


大人になってから、本を読もうと奮起し、わりと読んでいた時期がありましたが、やはり面白くはありませんでした。しかも何も変わらない。


読んでも変わらないし、面白くないし、意味がない。そう思って読書をやめました。だから、読書量はものすごく少ないです。


ずっと読んでいませんでしたが、去年、いろいろ悩んだときに、久々に読んでみたんです。そしたら、すごく面白くて。あれ? 本ってこんなに面白かったっけ?と思い、それから少しずつ、本を読むようになりました。


なぜ、今までの読書は楽しめなかったんだろう? なぜ、読んでも何も変われなかったんだろう? そして、今はなぜ、読書をしているんだろう?


今に至っても、「読書って何よ?」という感覚はぬぐえません。


そんなとき、「速読講座」を開催している人との偶然の出会いが。


は? 速読って何? 読書に速いとか遅いとかあるの?


すごく気になったので、疑問を延々とぶつけました。結果的に、講座に申し込んでしまった。ほぼ勢いですね。いろいろ話し込んでしまったというのもあったし。


だけど申し込んだあとも、疑問は消えません。


やっぱり速読なんて必要ないんじゃないの? 一体、何を学びにいくんだ?と。


申し込んだのは気の迷いだった。やめとけばよかった。受講日までは、そんな気持ちで過ごしていたのですが。


なんと、そんな疑問がキレイさっぱりと、晴れ渡った青空のようになってしまいました。とても満足度の高い講座内容で。


きっと、子どもの頃から抱え続けてきた、潜在的な疑問だったのだと思います。読書って何?とか。国語教育って何?とか。その自分の疑問に、解答をくれた。だから良かったんでしょうね。


まず最初に、「疑問」が自分の中に存在していて、その疑問に答えを与えられたからこそ、「学び」になった。


要は、初めに疑問ありき。そういうことでしょうか?


今までは、疑問にも思ってないことを、必死に詰め込んでました。「やらなきゃいけないから」「やったほうがいいから」と。


疑問も何もないから、「やらされてる」感覚だし、「なぜ、こんなことをしなきゃいけないのだろう」という不満もたまる。


勉強が、「気づき」や「変化」にならない理由はそこかもしれません。


だけど、読書について思っていた疑問というのは、「疑問」という自覚さえありませんでした。


要するに、自分を理解できてなかったのです。自己理解の不足が、すべての障害だったと思います。


自分は何を疑問に思い、何を解決したくて、どうしたいのか?


そのプロセスがまったくないから、喜びがない。


スラスラ読めただけで、読むのが上手ね。すごいね。本が好きなのね。と言われ続けた違和感。


読書感想文の書き方なんて何もわからず、ひたすら「感動しました」だけを繰り返していた違和感。


それでも褒められるというワケのわからなさ。


本を読むとどんな効果があるのか? なぜ本を読むのか? どう読めばいいのか? そんなことさえ、わからない。


そこに答えをくれる人が、今までにいなかったのです。


また、私の両親もちょっと特殊な人でした。


テストで良い点をとって、これで褒めてもらえる!とワクワクしながら帰っても、「テストで良い点をとったからって何なの?」と言うような親でした。


本は嫌いなのに、「本が好きなのねぇ」と褒められる。だけど、良い成績をとっても褒められない。


メンタル指数の低い私には、混乱状態だったんでしょうね。


ずっと、違和感と疑問と情熱のなさを抱えてきました。


そんな疑問に答えてくれたのが「速読」とは。思いもよらなかったです。


疑問を持つことが苦手だったんだと思います。


質問はよくします。「それってどういう意味?」と。


それは、疑問というよりも、意味がわからなくて混乱している状態。


自分の中に解決したい疑問があって、その解決のために頑張る。そういう姿勢は、まったくなかった。


何を学ぶにしても、自分は何を疑問に思っているのか?っていうところを明確にするといいんですね。


とても手応えのある気づきでした。


疑問に思ってたことが解決すると、喜びにつながる。情熱というのは、そういうところから湧くものなのでしょうか。


今さら?ってレベルの気づきですが。


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講師の人に、「語彙力はあるはずなんだけど、いまいち理解ができてないみたいだ」と言われました。


ものすごく見抜かれててビックリしました。


私は、テストでは良い点がとれても、理解力が足りないのです。


「それって、どういう意味?」と、すぐに立ち止まってしまう。


人の気持ちがわからない。自分のこともわからない。


「不思議なところでつまずくね?」


そんなふうに言われて、逆にスッキリしたんです。そうか、やっぱり理解力が足りないんだなぁと。


人の気持ちを理解すること。


それがやはり、大きな命題のようです。


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何かを学ぶときは、自分が何に疑問を抱いているのかを、じっくり探ってみたほうがいい。


疑問点が自覚できたら、その答えは自分で見つけられる。


学習って、そういうことかもしれない。


疑問に思わないことは、自分にとって必要のないこと。