日本の読解力が欧米に追いつけないワケ~音読より速読をしよう
日本人は読解力が低い。それは、日本の国語教育のせい。
欧米に比べたら、国語教育でも何でもないそうです。
力をつけたいなら、音読よりも速読。
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読解力を身につけるには、読書量を増やすしかない。読書量を増やすには、速く読んだほうがいい。
速読は、読解力をアップさせてくれます。
だけど、そういう考えは、なかなか日本には根付かないようです。
よく見かける、次のようなニュース。現代の若者の読解力が低すぎると。
事実でしょうけど、日本の国語教育に問題があるのは昔から変わりません。
今、問題になってるというのは、昔、ちゃんと教わらなかった人が、教える立場になったからとも言えないでしょうか。
しかも、読解力を高めなきゃと言ってる一方で、文部省も教育界も、国語教育に力を入れる気は全くないそうです。
考えてみれば、一番あいまいな科目ですよね、国語って。漢字を教わった以外は、特に習ったものなんてありません。
根本的に、教育理念がないのです。
海外の研究者は、日本の国語教育を見ると驚くそうです。これでは教育と言えないと。
そんなことを、速読講座で学びました。
速読は、ただ速く読むだけではなく、総合的な読書力や読解力を身につけることができるようです。
そして、読書の方法がわかると、読解力がアップするだけではなく、それが実生活にいかせたり、仕事に役立ったりする。
だけど、そういうことを国や教育界に提案しようとすると、猛反発に合うそうです。
日本では国語教育が苦手なんですね。
国語教育の目的は、情緒を育てること?
小学生の頃の国語の授業。何を習ったでしょうか。
私のときは、漢字を習う以外は、教科書に載っている物語を家で3回読んでくるとか、皆の前で音読するとか、主人公はどんな気持ちなのでしょう?とか。
正直、つまらなかったです。
一番好きな科目は国語だったんです。だけど授業はつまらなかった。何も教わってないからです。
日本の国語教育とは、情緒を育てようというもの。国語ではなく道徳ですね。
今でも覚えていますが、読書感想文の宿題を出されたとき、書くことがなくて困ってしまい、「すごく感動しました」をひたすら繰り返したんです。
そして、先生から返ってきた添削。
「本当に感動したようですね」
これって、何の勉強なのでしょう?
小学生ながらも、何なんだ?と思ってました。
だからいまだに、読書感想文の書き方はよくわかりません。
教師の力量の問題もあると思います。
ちゃんとやろうと思っても、教える側が何をしていいかわからない。だから、読ませて、書かせて、「よくできました」。それ以外はできない。
教える側も教わってないからですよね。
では、海外はどうなのでしょう?
欧米では、小学校から読書法を学ぶ
欧米の英語圏では、小学校のときから読書法をきちんと学ぶそうです。
読書法を学ぶって、想像つきますか? 私は、音読させられた経験くらいしかないため、読書法というのがピンときませんでした。
実は欧米では、本を読んだあとに、次のようなトレーニングをするそうです。
- 分析
- 評論
- 要約
- キーワードを3つ抜き出す
- 感想
小学生から、そんな力をつけているのです。
そして、読書ができない子どもは特別クラスに入れられて、集中レッスンを受ける。
アメリカの大学では、本を数百冊も読み、それをもとに討論をしたり、論文を書いたりするので、日本よりも大変だという話はよく聞きますよね。
それができるのは、小学校のときから訓練を受けているからのようです。
だから、日本人が追いつけるわけがない。
読書好きといっても、せいぜい好きな作家が書いた小説を読む程度。
本をたくさん読むとIQが高くなるという話がありますが、実は、小説だけではその効果はないそうです。
幅広いジャンルを、バランスよく読むことが大切だと。
そういう読書を続けていけば、塾なんて行かなくても成績は良くなるらしいです。読書で基礎力がつくから、理解が早いのでしょうね。
だけど、情緒を育てましょうという日本の国語教育では無理があります。読書といえば、小説か漫画くらいしか思いつかないのではないでしょうか。
本を読んで分析したり、要約したり、討論したり、そんな力がつくはずがない。
海外の現状を聞いて衝撃を受けました。子どもの頃からそんなに違うのだなと。
分析や要約の力、私も教わりたかったです。
そして、読書メモの取り方にもコツがあるそうです。それは、またいつか整理してみます。
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衝撃的なことに、音読には学習効果がないことが研究結果で判明しているそうです。
それを聞いて、とてもショックを受けました。
学校でやらされてきたことといえば、ほぼ音読でしたよ。
考えてみれば、音読って自己満足に近いかもしれません。感性が刺激されるとか、そういう効果はあるのでしょうけど、知的レベルが高まったという感覚はなかったような気もします。その証拠に、知的レベルは高まってませんし。
欧米では、音読よりも速読と分析だそうです。
こういう話をすると、日本では決まって、「文化の違いだ。日本は情緒を育てているんだ」という批判が起こるそうです。
論理的な思考が日本に合わないという現実も確かにあります。だからといって、情緒が育ったのか?といえば、それも疑問ですが。
「読みなさい」「感想を書きなさい」「主人公の気持ちを述べなさい」 それだけで情緒って高まるんでしょうかね。
欧米式の国語教育がされていたら、もしかしたら、国語が嫌いで理系を選んだという人も、国語が好きになっていた可能性もあるのではないかなぁと思いました。
分析したり、思考力を働かせたりすることは、理系に近いような気がします。
そして、社会に出てからあわてて、「論理的思考」を身につけなきゃと、お金と時間をかけて学ぶ必要もなくなるかもしれません。
読書ひとつにしても、理論があり、方法がある。自己流ではうまくいかないことを知りました。
そういうことをきちんと教えずに、「とにかく読め」という方式を続けながら、子どもの読解力が心配だ!と言ってるわけですよね。
速読の考え方には、刺激を受けました。