人は偏見に満ちた存在。すべては脳が引き起こす錯覚です
認知バイアスは、そうとわかっていても、つい落とし穴にはまり、なかなか修正することができません。だからこそ認知バイアスなのです。
人は自分のクセに無自覚であるという事実に無自覚です。
自分には見えてない世界がある。見えてないのです。だけど厳然とあります。でも、なかなか気づけません。それが認知バイアス。バイアスとは、「偏見」です。すべては偏って見ている!
「自分では気づかない、ココロの盲点」
ichigo-it.hatenablog.com
バイアスの盲点
バイアスの盲点とは、心の盲点
他人の欠点(認知バイアス)には気づけても、自分の欠点には気づけません。だからヒトは「自分は公平で正しいのに、他人は視野が狭くて偏見に満ちている」と考えがちです。これを「バイアスの盲点」と呼びます。
自分に対して、「気が利かない」と思ってる人はいません。気づいたことしか、考えられないからです。
さて、図Aから何が見えますか?
【図A】
【図B】
【図C】
図Bを見る人は、図Cには気づけません。図Cを見る人は、図Bには気づけません。お互いに、自分に見えるものだけを基準にして、相手はバカだと思い合います。だけど、どちらも真実です。
だから、イライラして、怒って、相手を見下して・・・。それは、相手の見ている世界を知らないからですね。見えないのですから、仕方ない。
自分が気づいていることを他人が気づいていないという状況に出くわすと、「私はこんなに気を利かせているのに、どうしてあの人は気が利かないんだ」と憤慨します。
「いるいる、そういう人!」「あの人、勘違いしてるね」そんなセリフをよく言う人。「そういう人」の中には、実は自分も含まれていますよ。自分の欠点には、気づけないからです。それが、心の盲点! 自分には見えてない世界があるってことです。
様々なバイアス(偏見)
後知恵バイアス
事が起こってから振り返ると「前もって予測できた」「本当なら実行できたのに」と思いがちです。これを「後知恵バイアス」と言います。「あのとき株を売っておくのだった」「諦めるんじゃなかった」「告白しておくべきだった」などさまざまな場面で現れます。
後悔とは、今、思っていること。そのときには、そんなことは思わなかった。「本当はできたはず」というのは勘違い。
図Bしか見えてないとき、図Cには気づきません。どっちかしか見えないものです。経験を重ねたからこそ、違う選択肢も目に入るようになった。それだけです。つまり、成長したのです。後悔ではなく、むしろ、喜ばしいことです。
今、見えるようになった。成長したってことです!
逆に、自分の思いどおりに進んだとき。その渦中では、決して、思いどおりになるとは思っていませんでした。でも、思ったとおりになると、「ほら、やっぱり」「そうだと思った」後からそう思う。
結果が見えたら、途中経過までもが、結果と同じように見えてくるというのは偏見です。後知恵バイアスです。
一貫性バイアス
一般に「昔から自分はそうだった」と思い込む傾向があります。ジョギングが習慣になれば、以前からジョギングは好きだったと記憶が歪められますし、パスタを食べるようになると、以前からパスタを食べていたと思い込みます。
脳は、一貫性を好みます。いい人は、すべてが良くあってほしい。悪い人は、すべてが悪くあってほしい。だから、いい人の悪い面を見たとき、あるいは、悪い人の良い面を見たとき、脳は混乱します。
いろいろな側面があるということが、脳は嫌いなのです。一貫してこうなのだ。そう思いたいがゆえに、記憶さえも書き換えてしまう。
「私って、こういう人」
「あの人は、ああいう人」
だけど、それだけじゃない。いい面もあれば悪い面もある。一貫しているというのは偏見です。一貫性バイアスです。
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自分がいかに、偏見に満ちた存在であるか。どんな人も、自分が見えている世界でしか判断できないってこと。
ちなみに、歳(とし)をとっても、記憶力は衰えないそうです。歳をとると記憶力が衰える。そう思い込むことによって、実際に衰えるのだそうですよ。偏見が、自分を変えてしまうのです!
~まとめ~
自分は、偏見に満ちた存在である
ときには、直感以外も信じてみよう
世界の見え方がガラッと変わる
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