自分の言葉で語ろう~自分を信じて生きていく
自分の考えを信じること、自分にとっての真理はすべての人にとっての真理だと信じることーそれが天才というものだ。
エマソンの「自己信頼」
この本を読むと、
世間の目を気にしているのが
バカバカしくなってきます。
エマソンは、自分を貫くことを、
痛快なほど徹底しているのです。
エマソンというと、
難解な哲学なのかなと思ってましたが
とても面白くて一気に読めました。
今回は、エマソンの「自己信頼」から
特に、自分の言葉で語ることについて、
ピックアップします
自分の考えを口にしよう
偉大な人は、自分の考えを語る
モーセやプラトン、ミルトンが真に偉大なのは、書物や伝統にとらわれず、他人が考えたことではなく、自分が考えたことを語ったからである。
エマソンは、自分の考え、自分の思い、
それを基準にすることを説いています。
自分が口にすることは、
自分のものであるべきです。
それは、意外と難しいです。
私たちは無意識のうちに、
子どもの頃から教わってきたこと、
世間で言われていることを、
自分の考えだと思い込んでいるのです。
そして、自分の言いたいことではなく、
相手が期待してるであろうこと、
いい人そうに見えるだろうこと、
それを基準に声を発しています。
それ、本当にあなたの言葉でしょうか?
自分の考えに沿って、
自分の思いを語れていますか?
なぜ隠すの?
私たちは自分を半分しか表に出しておらず、自分たちが心に抱く貴重な考えを恥じて隠している。正直に伝えさえすれば、何の問題もなく「妥当だ」「いいことを言う」と評価されるだろうに。
自分の思いを語れない理由は、
次のようなものでしょうか。
- 恥ずかしいから
- 大したことじゃないから
- 間違ってるかもしれないから
- 面倒だから
恥ずかしいのです。
世間体を気にしてしまうのです。
だから、半分くらいしか出せません。
でも、思いきって言ってみれば、
想像以上に、評価されたりもするものです。
同意してくれる人もいるものです。
恥ずかしいというのも、
自分の思い込みだったことに気づきます。
自分が大したことないと思うように、
他人も大したことないと思ってたりします。
だから、気にせず語ってみませんか。
思ったままでいい
思ったままを口にすればよい。心にもなく歓待したり、心にもなく愛情をかけたりすることをやめるのだ。欺き欺かれながら付き合っている人たちの期待に応えて生きるのをやめるのだ。
思ったままを口にできないというのは、
思ってもないこと、
心にもないことを語ることになります。
それでは、何か心が満たされないという現状も、
当たり前のことなんです。
正直に語れないことは、
必ず消化不良を起こして、残るものです。
偽りのある言葉、
当たり障りのない言葉、
そこに幸福はなさそうです。
無駄な愛想笑いも疲れてしまいますね。
何かに気がねせずに語れること、
ありますか?
一貫性にこだわるな。今心にあることを口にせよ
今心の中にあることを、断固として口に出したまえ。そして明日は、明日考えたことを口にするのだ。それがたとえ、今日言ったことと矛盾していても。
エマソンは、一貫性にこだわることを
重視していません。
昨日の自分と今日の自分が違っていても、
それでいいのです。
過去の発言とは、違う発言をしたとき、
周囲からバッシングを浴びることがあります。
「言ってたことと違うじゃないか」と。
それを気にするあまり、
過去の自分を守ろうとしてしまうのです。
それゆえに堂々とできなくて、
自信を持てなくなることもあります。
「あんなこと言わなければよかった」と
自責の念にかられることもありますが
そんなことは、
どうでもいいことですね。
過去や未来ではなく、
今の自分にこだわってもいいのです。
この考えは、とても衝撃で、
痛快に感じました。
仮に矛盾したからといって、それが何なのだ?
他人からは矛盾に見えたとしても、
自分が気にしなければいいのですよ。
勇気が出ますね。
勝手気ままでいい
幼児は誰にも従わない。周りが幼児に従うのだ
幼児がただひとりいるだけで、周りの大人がみな4、5歳の子どもに戻って、幼児言葉で話しかけたり、一緒になって遊んだりする。
大人は、
子どもの行動に振り回されますね。
その頃と同じように、
自分が周りに合わせるのではなく、
周りを自分に従わせるような、
そういう生き方でいいと。
どうでしょうか?
そんな生き方、できますか?
そんなことを言われたことがありません。
大人の振る舞いを求められるのが、
世間での常識ですよね。
成長するにつれて、
世間の常識とか、他人の目とか、
いろいろ気にするようになり、
自分の正直さを引っ込めてしまうものです。
正直な自分で生きるということは、
子どもの頃と同じように、
気ままに振る舞うことなのかもしれません。
たしかに、世間を気にしての言動は、
狭く小さくなりがちで、
自分でもつまらないと思ってるはずです。
そんな自分が発する言葉が、
他人の心を動かせるわけもないですね。
自分の発する言葉を考えようと思ったとき、
結局は、自分に正直に生きるという、
生き方の転換もせまられているのです。
「自分」を生きる
私は間違いなく私という人間であり、そのことを自分や仲間に理解してもらうために追加の証拠を提出する必要はない。
私がしなければならないのは、自分に関心のあることだけであって、他人が考えていることではない。
人はどうしても、
自分の力を証明しようとか、
他人に認めさせようとか、
そのような動機で動いてしまうものです。
だけど、それでは結局、
自分らしく生きることができなくなります。
常に、他人にどう思われるかを、
考えなければならないためです。
でも、証拠なんて出す必要がないのです。
本当に関心のあることをすること、
それを実行しましょう。
他人が考えていることをしている限り、
自分自身に生きていくことはできません。
自分の言葉で語れないというのは、
そういうことです。
子どもの頃の心を大事にするのは、
そのためなのかもしれません。
それくらい極端に考えないと、
余計なものを身にまとってしまった大人が、
考えを改めるというのは、
とても難しいものなのでしょう。
極端にやってみて、
やっとちょっと変わるくらいです。
だから、もっと極端な考え方を
取り入れてみてもいいのかもしれません。
そんなことを考えても、
決して極端にはなれませんから。
証明するために生きるのは、
もうやめたいですね。
**
いかがでしょうか。
とにかく、自分の考えを大事にすること、
自分自身に生きること、
それしかないんですね。
どこまでも自分を信じる、
「自己信頼」を生きる軸にする、
それは勇気を与えてくれます。
自分の言葉で語るためにも、
世間に迎合する生き方から、
自分を解放したいものですね!
~まとめ~
自分の考えを、自分の言葉で語ろう
どんなときも、自分の生き方を貫くこと
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