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自己啓発本は外向型を重視している⁉信じすぎると疲れるので気をつけよう

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なぜ、外向型のやり方をススメられるのか? その理由は、なんと自己啓発本にありました。


現代は、いかに見せるかにこだわる時代! それが疲れの要因でもあります。見せかけではなく、内面に気を配ろう。どう見せるかよりも、どう振る舞うかです。


特に内向型の場合、外向型の意見に圧倒されてしまう場合が多く、自分を保つのが難しくなることが多々あります。
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なぜ外向型の意見が重視されるのかというと、自己啓発本の流行が原因だったようです。それを、「内向型人間のすごい力」と「7つの習慣」より学びました。


著名な文化史学者であるウォレン・サスマンによれば、アメリカは「人格の文化」から「性格の文化」へと変容した──そして、不安というパンドラの箱を開け、もうけっして元には戻れなくなったのだ。
(「内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える」)

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「人格の文化」から「性格の文化」へ

内面を重視する「人格の文化」

人格の文化」においては、思慮深く、規律正しく、高潔な人物が理想とされる。他人にどんな印象を与えるかよりも、自分がどうふるまうかが重要視される。「性格(personality)」という言葉は一八世紀まで英語にはなかったし、「性格がいい(good personality)」という表現は二〇世紀になってから広まったものだ。


内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫) 「内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える」


アメリカでは、「人格の文化」から「性格の文化」へと変わったそうです。そして、もう元には戻れない。この本では、特にアメリカについて言及していますが、アメリカの思想が日本に多大な影響を与えているので、日本でも同じでしょう。


要するに、ひと昔前のほうが、人びとは内面性を重視する生活をしていたということです。「どう思われるか」よりも「どう振る舞うか」、そこに重きを置いていた。


もちろん、世間体を気にしたり、どう思われるかを心配したりする性質は、いつの時代も同じだと思います。ただ、そこに対して、「でも、どう振る舞うかだよね」という認識が、今よりも根づいていたのではないでしょうか。


日本でも、江戸時代の武士を想像すると、どう振る舞うかという精神統一を重視していたような印象があります。品行方正や礼儀、規律、伝統など、今となっては古くさく思えるような習慣が、当然のことのようにあった。自身の誇りを貫くという重厚性を感じます。


実際はどうかわかりませんが、少なくとも、それが大事なんだっていう空気感はあったと思います。


今の人が、趣味で「武士道」を読むような、そんな軽々しさとは違う、もっと生活や社会に根づいていたもの。


「古き良き伝統」と言いますが、本当に良かったかどうかは別として、今よりは、重々しく深いイメージがありますね。


ちなみに「武士道」は、明治時代に、新渡戸稲造が、海外の人から日本の宗教は何か?と聞かれ、日本人が何によって精神形成をしているのかを熟考して書いたものです。


しかも重要なことは、そのような精神形成が内発的であったという点です。


強制されたものではなく、内発的なものだった。ゆえに江戸時代では、汚職や犯罪が現代とは比較にならないくらい少なかったそうなんです。


また、大森貝塚を発見したモースも、日本の庶民の暮らしが美しいと言っているし、ホイットマンも、日本人は気品があると言っている。当時の日本人は、やはり今よりも内発的な精神性があったのでしょう。


それとは逆に、現代社会で目標とかテクニックとかが言われるのは、すべて外発的なものです。外から強制されている。押しつけられている。内発性ではない。


「人格」から「性格」への変化とは、「内発」から「外発」への変化とも言えそうです。


それにしても、「性格」という言葉が18世紀までなかったというのも驚きです。「性格がいい」かどうかよりも、社会的な規範や規律が問われていたのかもしれません。


見た目を重視する「性格の文化」

「性格の文化」が広まると、アメリカ人は、他人が自分をどう見るかに注目するようになった。目立つ人やおもしろい人が人気を得るようになった。「新しい文化において必要とされた社会的な役割は、演技者としての役割だった。すべてのアメリカ人が自己を演技しなければならなくなった」とサスマンは書いた。


「性格の文化」の発祥は、まさに「自己啓発」の台頭によるものだそうです。日本で自己啓発が人気なのも、アメリカの思想を取り入れたからですね。


代表的なものは、デール・カーネギーの「人を動かす」。この本は、1936年に出版されてから今に至るまで、世界中で大ベストセラーに。自己啓発の原点・源流とも呼ばれています。(驚くことに、日本での売れ行きは世界での1/3を占めているよう。)


自己啓発の特徴は、外面的な魅力を焦点としていること。例えば、話の内容よりも「いかに話すか」が重要だったり。自分をどう見せるかというテクニックや手法にこだわっているのです。


「人格」という言葉よりも、とっつきやすく実践しやすいため、伝統を重く感じ始めた人々が、その軽さと楽しさに急速にひかれていったということでしょうね。


ただその反面で、内面の美徳を軽視する風潮が広がり、表面的なテクニックでうまく生きていくことが「成功」だと思うようになった。


人の前ではデキる自分・面白い自分を演じなければならない、そうしないと評価されない、そんな社会になってしまったというのです。


要するに、武士の生活は厳しすぎてイヤだ、それよりも、自分をいかに「武士っぽく」見せるかというテクニックを学ぼう!という感じかもしれません。


いかに早く結果を出すかという、効率重視ってことです。


ただし、それは仕方のない側面も。自己啓発の台頭は、工業化という社会の変化によって出てきたものだそうです。


都市に出て、見知らぬ人々と働かざるを得なくなったのです。これまでの狭い社会の中で通用していたものが、まったく通じない。伝統と規律を重んじようと思っても、そもそもの伝統が人それぞれ違うわけです。その中で、自分をどう表現するかという新たな悩みが発生してきた。


だから、テクニックを求めるしかない。だって、武士の生活をしていたら、現代では生きていけませんから。


そうは言っても、人びとの考えが「浅く」なってしまったことは否めないと思います。本を読んでると、どうしても表面的なテクニックに踊らされてしまう部分もあり、大切なことを見落とす結果にもなりかねません。


浅くて表面的なテクニックにすぎないと自覚しておくことは必要ですね。


「7つの習慣」の著者・コヴィー博士は、「性格の文化」を「個性主義」と呼んでいます。「個性」とは要するに、「個人の性格」という意味ですね。そして「7つの習慣」は、人格主義に基づいています。


個性を大事にしよう!とは言いますが、その前に、「人格」という深さが必要ということでしょうか。「自分らしくていい」という言葉には、たしかに、軽々しさを感じることがあります。何かから逃げてないか?って思うこともありますよね。


それはきっと、社会が工業化し、グローバル化し、様々な人と働かなくてはならない状況の中で、どうしようもなくつきまとう悩みなのかもしれません。


「7つの習慣」は人格主義に基づく

第一次世界大戦が終わって間もなく、成功についての基本的な考え方は急に人格主義から個性主義へと移行した。この個性主義では、成功は、個性、イメージ、行動、態度、スキルなど、人間関係をスムーズにする手法やテクニックから生まれるものだと考えられるようになった。


完訳 7つの習慣 人格主義の回復 「7つの習慣」


コヴィー博士は、成功について書かれている書物を何百冊も読んで研究したそうです。しかも過去にさかのぼること、200年分! ものすごい研究量です。私なんかが、たまにちょこっと本を読んでブログを書いているようなレベルとは、当然のことながら雲泥の差です。


その研究の中で、コヴィー博士は気づいたそうです。最近の自己啓発本は、「その場しのぎの薄っぺらなものにすぎない」ということを。


企業でも、コンサルタントに相談したり、社員にコミュニケーション研修を受けさせたり、様々な努力をしていますが、それらもほとんどは、薄っぺらな自己啓発に過ぎないというのです。


自分の生活もそうだし、会社や組織を変えようと思うときも、やはり自身の内面から変えていかなくてはならない。まず最初に問うべきは、テクニックよりも自身の人格であり、その人格を養うのは日々の習慣である、と。それが「7つの習慣」です。


特に、コヴィー博士が研究した200年分の書物のなかでは、最初の150年が「人格主義」であり、直近の50年が「個性主義」と言えるそうです。



最初の150年:人格主義


人格主義では、「成功」といわれるような人生には、その裏付けとなる原理原則があり、その原則を体得し人格に取り入れる以外に、人が真の成功を達成し、永続的な幸福を手に入れる方法はないと教えている。



直近の50年:個性主義

  • 成功は態度で決まる・笑顔は友達をつくる・念ずれば道は必ず開かれる等
  • 代表的な著作は、デール・カーネギーの「人を動かす」


大別すると2つに分かれる

  1. 人間関係や自己PRのテクニック
  2. 積極的・前向きな考え方と姿勢


人格主義に触れていたとしてもそれは口先だけであり、あくまでも強調していたのは、影響を及ぼすテクニック、力を発揮するための戦略、コミュニケーションの手法、プラス思考などであった。



自己啓発的な話を読んだり聞いたりしていると、プラス思考にウンザリしてくるし、笑えばいいってものでもないって思う。愛想笑いって疲れるし。


だから、自己啓発は絶対視するものではない。ただ、人格を磨こうって思うと、非常に困難で苦しいので、つい自己啓発本に手がのびちゃうんですよね。


だけど、そこに書いてあるのは、どれもこれも似たようなもの。それを真似するなら、結局は、誰もかれもが同じような人になってしまいます。


「個性主義」「性格の文化」の意味するものとは、要するに、成功するためには「こういう性格であるべき!」というものを固定しているのだと思います。つまりは、外向型こそ成功できる!と。


ポジティブでいこう! 話すときは明るく堂々と! 笑顔を見せると好かれる! 必要なのは、しゃべり上手のカリスマ的リーダー。


そのような画一的な性格を押しつけているところに限界があるのではないでしょうか。だって、外向型も素晴らしいけど、内向型だって素晴らしい。どんな性格がいいかっていうのは、一概には言えないわけです。


どんな性格でもいいから、人格を磨こうよってことです。


性格と人格って同じじゃないの?っていう疑問もわきますが、「性格」とは、人それぞれ違うもの。でも、「人格」は人類全体に共通する普遍のもの。そんなイメージだと思います。


人格とは、誠実さだったり、忍耐力だったり、言葉にすると抽象的でわかりづらいですけどね。


だからこそ、わかりやすい表面的なものに飛びつきたくなるんです。自己啓発が流行するってこと自体、現代の特徴をよく表わしていると思います。


普遍のものと言えば、例えば植物にとっての「大地」や「水」のようなもの。あらゆる植物も、または動物にとっても、必ず必要なものです。だから、「母なる大地」とか「母なる水」とか呼んだりする。


咲かせる花はそれぞれだけれど、共通しているのは、大地に根を張って芽を出しているということ。大地や水は、共通であり普遍です。それと同じように、人間も、個性は人それぞれだけれども、共通で普遍のものがある。


必要な日光の量はどれくらいか?とか、どんな肥料がいいか?とか、そのへんの話がテクニックになるわけで。母体となる大地と、表面的なテクニックとを混同してはいけないってことですね。


自分自身を、栄養のある大地にしていこうっていうのが、「人格」という意味ではないでしょうか。


軽いものを読んで心を落ち着かせるのはいいけれど、実際には自分の内面からにじみ出るもの! そこを忘れちゃいけませんね。


人格って難しいけれど、性格ではなく、人格重視! と思うことには、大きなメリットがあります。


どんな性格の人も受け入れられるってことですよ。


ポジティブな人はネガティブを否定するし、細かい人は大ざっぱな人を否定する。そこが、性格重視の落とし穴。


だけど、どんな性格かは重大じゃないってことです。赤い花だろうが青い花だろうが関係ない。


内向型だって、立派に生きていけます。


見た目っていうのも、大事だとは思いますけどね。
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性格の文化というのは、どうすべきか、どう見せるか、そこにこだわりすぎちゃう側面があるってことです。


ということで、7つの習慣の実践は、おススメです。私は、できてませんが。というより、深すぎて内容も整理できてません。
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ちなみに、映画「イエスマン」は自己啓発を実践した実話ですが、この主人公がうまくいった理由は、ひたむきに信じていたからです。「自分の人生はうまくいく!」と自分を強く信じる力を引き出す。自己啓発は、そのきっかけを提供してくれるのでしょうね。
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内向型の模範は、さかなクン! ぜひ、参考にしてほしいです。
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「あらゆる人の手の中に、善または悪を行なう巨大な力が委ねられている。それは、その人の人生そのものが周りに与える影響である。どう見せかけるかではなく、本当のところ、あなたはどうあるかを常に周りに発信し続けているのだ」ウィリアム・ジョージ・ジョーダン


どう見せるかに、こだわりすぎかも?

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