ichigo's blog

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名言に学ぶ:今に集中する力!悲しいことがあっても、生きる力強さは残っている

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今に集中! そうしてこそ、過去は良き思い出に変わり、未来は希望にあふれる。常に、今・目の前のことに集中することを思い出していこう。


存在するのはただ現在の、この瞬間だけである。そしてそこに、その瞬間に、われわれの全生活は存在するのだ。それゆえわれわれは、この一瞬間に自己の全力を傾注しなければならない(トルストイ


集中するとフロー状態になり、その感覚が幸せにつながるようです。
ichigo-it.hatenablog.com



何に集中するのか?といえば、もちろん、ですね! 今のこの一瞬に全エネルギーを注ぐこと。それを、世界中の偉人は、昔からずっと共通して言っています。



今に集中することで悩みが消える

今に集中し、ひとつずつ!

我々には一度に一つのことしかできないし、砂時計の砂がくびれた部分を通るように、ゆっくりと、一定の速度で仕事を片づけるしか手はない。さもないと、肉体や精神の働きが狂ってしまうのだ(「道は開ける」)


同時にあれもこれも・・・。脳は、そんな状態が大嫌い。だから、いっぱいいっぱいになるんです。混乱するんです。


それよりも1つに集中! そうすると脳は喜んでくれます。


砂時計で、砂が一粒ずつ通っていくように。私たちが通る道は、実はとても狭い。だから一粒一粒・・・。


混乱してきたら、それを言い聞かせてみよう。一粒ずつです!


今日やるべきことに集中

ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ(釈迦)


今日のやるべきことを、熱心にやろう。あれこれ考えると、上の空になってしまいます。


そんなときこそ、目の前のことを熱心に! それしかできないんです。


偉大な仏教を説いた、釈迦がそう言っているのです。素直に聞いてみよう。


今日という日は、もう二度とめぐっては来ないことを忘れるな(ダンテ)


二度と来ない今日を、大切に。


未来のことはわからない

私の生涯は、恐ろしい災難に満ち満ちたものに思われたが、その大部分は、実際には起こらなかった(モンテーニュ


実は、心配していることの大半は、現実には起きないそうです。慎重になるのはいいけれど、ムダに心配をするのは、エネルギーを消耗します。


未来を思いわずらうのはやめよう。どうせ、未来なんてわからない。


明日のことを考えるな。明日のことは明日自身が考えるだろう。一日の苦労はその一日だけで十分だ(イエス・キリスト


明日のことは明日考える。あまりにも不安と心配に襲われたら、そう言い聞かせよう。


明日考えても大丈夫なんです。


過去も未来も考えない

昨日は夢にすぎず
明日は予感でしかない
精一杯に生きた今日は
すべての昨日を幸せな思い出に変え
すべての明日を希望の見取図とする。
だから目を開こう、今日に向かって!
夜明けへの挨拶はこれだ。
(カーリダーサ)


明日は予感でしかない。本当にその通りですね。


そして、今日を精一杯に生きるからこそ、明日が希望に変わる。


だから、未来を不安に思うなら、今に集中すること!


今を勝ってこそ、未来の勝利が訪れるということです。


過ぎ去れるを追うことなかれ。いまだ来たらざるを念(ねが)うことなかれ(釈迦)


過去の延長に今があります。だけど、今、何を思うかで、過去の意味は変えられます。そして、明日に希望が生まれます。


やはり、大切なのは


よくよく考えれば、本当に当たり前のことですが、それを何度も何度も、大昔から言われ続けるということは、人はすぐに、それを忘れてしまうということです。私もすぐに忘れちゃうのです。


すぐに過去を思ってクヨクヨし、未来に不安を抱き、どうしよう・・・とムダな悩みを抱える。そんなことは意味がないんだと何度も何度も言い聞かせないと、すぐに忘れちゃいますから!


偉い人の言葉を何度も思い起こしてみよう。


ちなみに、仏教では「無常」を説いています。有名な平家物語のあの言葉です。


諸行無常の響きあり

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす
(「平家物語」)


中学生のとき、古文でこの一節を学んで、非常に感動しました。よし!平家物語を読もう!と張り切って本を買ったところ、あまりにも難しすぎて、すぐに挫折しましたが。


平家物語のイメージでは、無常観は、「一瞬で消えてしまう空虚なもの」という、せつなさ・はかなさがありますが、仏教で説かれた意味は少し異なります。


すべては移ろいゆき、変わっていくもの。変わらないものなど何一つないのに、人間は、それに執着して苦しみを抱いている。


例えば、人との別れ。もう元には戻らないのに、いつまでもそこに執着している。いつまでも悲しみに浸っている。だから苦しい。


例えば、お金。死後にまで持っていけるわけでもないのに、それを失うまいと必死になる。


例えば、若さ。老化するのは当たり前のことなのに、年を重ねるごとに希望を失ってしまう。


それはなぜかと言えば、すべては、「変わってほしくない」という執着心があるからです。「時よ、止まれ!」なんて思ったこと、ありますよね。楽しい時間があると、ずっと続いてくれたらいいのにと思う。


だから、それを失ったときに、ひどく絶望するんです。失ってしまったという事実を乗り越えることができない。


もっと現実を見なければいけないんです。すべては変わったんだという現実を直視すること。止まっているものなんて何もない。当たり前。


そんな、移ろいゆく現象の中で、不変のものがある。わかりやすい言葉で言えば、「魂」という言葉になるでしょうか。精神性といったものです。


状況や状態は変わるけれども、自分の心にある、確かなるものは決して変わらない。だから、何があっても生きていけるということです。


すべてを失ってしまったら終わりなのか? 若さを失ったら終わりなのか? そうではなく、自分の心の奥には、いつだって変わらないものがある。それを信じて、変わりゆく現実をしっかりと生きていこうという教えです。


自分の中の強い心を信じようということですね。状況に振り回されるような弱い自分は、本来の自分ではないのです。何かを失っても、それでも強くいられる。その精神を人間は持っている。


この世は、はかないものだよってことを言いたいのではなく、何があっても生きていける。自分の心は壊れない。そういった希望のようなものを説いているんですね。


平家が滅びたって、人間は希望を失わない。またやり直していけます。


**


私は、変わりゆくことに、とても悲しみを抱いてしまいます。


幼い頃、妹のことが大好きでした。毎日、一緒に遊んでた。かわいくてしょうがなかったんだけど、今は別々の人生を歩んでいる。そんなことが、とてつもなく悲しい。


両親も老いていく。父親は、既にこの世にいなくなってしまいました。自分は、いつまでも子どもではいられない。そんなことも悲しい。


学生時代、毎日、友達と会っていた。今は全然会わない。どこで何をしているのか、わからない人もたくさんいる。なんだか悲しい。


鏡を見るたびに、自分の老いも感じる。変わるって、嬉しいことである反面、とても悲しいです。


ときには、そんな悲しみから、抜け出せなくなってしまうこともありますね。


だけど、変わりゆく中で、その悲しみを乗り越えていける力強さもまた、自分の中にある。その力を信じて、勇気を出していくしかない。今に集中するしかないんですね。


集中!集中!


マインドフルネスという考えは、とても参考になりました。
ichigo-it.hatenablog.com


この本も、とても面白かったです。
ichigo-it.hatenablog.com


過去を良い意味に変え、未来に希望を抱き、今を生き抜くこと。それを常に思い出そう。


過去でも未来でもない。今でしょ!
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