自己責任論は江戸時代から?~本当は素直に受け取りたいよね
受け取っちゃダメ。行動しちゃダメ。日本って、ツラい。
古き良き時代なんて真っ赤なウソ。日本人は、江戸時代からずっとツラかった
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2018年11月
まだまだ暖かくって、いったい、今は何月? 冬っていつから? そう思っていた、11月。テレビには、この人が登場しました。
2018年10月にようやく身柄が保護され、11月、ついに日本のメディアの前に姿を現しました。
しかし、日本の反応は冷たいもの。必ず言われる自己責任。本当に、自己責任なのだろうか? そもそも、自己責任って何? 気になったので、少し考えてみました。
自己責任論はいつから?
2004年、イラク人質事件
↑こちらの記事に、始まりは2004年だったと書いてありました。しかも政府が言い出した、と。
「自己責任」は2004年の流行語大賞にもトップテン入り。
イラクでの人質事件は、私の記憶にも鮮明に残ってます。特に衝撃を受けたのは、帰国早々、空港で待ちかまえたバッシングの嵐。
しかも、わざわざ一般の人が空港へ出向き、「自己責任!」と叫んでいた姿には、恐怖さえ感じました。
こんなふうに言われちゃうのか・・・と。
そんなことをされたら、いくら行動力が大事!と言われたところで、行動することをどんどん抑えてしまう。
自己責任って、なんなんでしょうね。
そりゃあね、政府としては、「危険だから行くな」と忠告をしているわけで。
「行くなと言ったのに、無視して行っただろ」と言いたくなる気持ちもわかります。
身近なことで考えても、「やめたほうがいい」と言ったのに、アドバイスを聞かなかった。そういう人がいたら... まして、事件や事故を起こしたら...
「だから言ったでしょ~!」と、憤慨するだろうね。
それは、会社でも同じ。面倒なことを起こした人には、やっぱり腹が立つもの。
それでも、責任は会社がとらなきゃいけない。
ただでさえ忙しいのに、周囲の人も巻き添えをくらう。なかなか、しんどいですよね。
ましてや、政府にとっては外交問題にもなるし、税金も使うし。
それでも、責任は国がとらなきゃいけない。国には「邦人保護」が義務づけられているんです。
どんなに悪い人だろうが、嫌いな人だろうが、海外にいる日本人が窮地におちいったら助けることが国の義務。
「嫌いな人だから助けない」と言ってしまったら、戦時中の「非国民」の思想と同じなわけで。
まさか、非国民思想を望む人はいないですよね。
だから、「税金の無駄づかい」というのは、おかしな批判で、当然、救済はされるべきです。
じゃなきゃ、思想統制の時代に逆戻りですから。
そうは言っても。
わかってて行ったんだよね? なぜ、国が苦しまなきゃいけないの? なぜ、税金を使わなきゃいけないの?
それも一理あるよなぁと、考えがグルグルしてきます。
自己責任の淵源は江戸時代
↑こちらの記事に、面白いことが書いてありました。
古き良き時代には、本当に助け合いの精神があったのだろうか? そんな疑問を投げかける内容。
実は、江戸時代も冷たい社会だったと。
相互扶助の社会だったと見られている江戸時代も、自己責任をよしとする社会だったそうだ。
貧しくて年貢を収められない世帯があれば村が救済にあたるものの、そこには社会的制裁も伴ったという。また、その人の素行を見て「救済するかどうか」を決めた形跡も見えたという。(中略)
日本人が冷たいのって今に始まったことじゃなくて、ずーっと前から自己責任社会だったんだ、ということがよくわかる。
それだけではない。「自己責任バッシング」のディテールが、今のネットでのバッシングとほとんど変わらないのだ。江戸時代の村人、藤右衛門とマツが田んぼのあぜ道とか神社の裏とかでコソコソ言ってたことが、今、ネットに書かれているだけの話なのである。
根本は、江戸も現代も同じ?
なんだか根深そうですね。日本人は、昔から、ずーっと冷たかったってこと。
ちなみに海外では、日本の自己責任論に驚いているそうですよ。まずは、命が助かったことを純粋に喜ぶような文化が欧米にもあるし、アジアにもある。
やはり島国根性なのでしょうか。日本独特のようです。
上記のブログ記事によると、江戸時代にも救済制度はあったけれど、必ず「制裁」を加えたと。
制裁というのは、タダで米をもらった者は、衣服や髪飾りなどの服飾品から、旅行などの遊びまで、生活を慎まなきゃいけないという考え。
例えば。
まさに、働かざる者、食うべからずといった、徹底した制裁です。
よって、どれほど生活に困窮していても「タダで助けてもらうなんていたたまれない」「申し訳ない」という思いから、一家総出で夜逃げするケースなどもあったという。
施しを受けた人への制裁が、人々の自己責任論をより強化する。
海外だと、働かずにのんびりしてる人って多いと聞きます。しかも、罪悪感もない。稼いでる人が、稼げない人を養うのは当たり前。
また、インドなどでは、金持ちがお金を恵むのは仏の行為。だから貧しい人は、堂々とお金を受け取るわけです。
托鉢(たくはつ)といって、僧侶が家々をまわって
施しを受けることが修行の一つにもなってますよね。イスラムでもそんな考えがあります。
ひるがえって日本は? 施しを受けた人が、「申し訳ない」と思う。なるべく施しを受けたくない。
そんなの恥ずかしい、苦しい。名誉に関わる。切腹こそ最終の美。そんな思いが、日本人のDNAに刻まれているのかもしれない。もしかしたら、江戸よりもさらに、さかのぼるかも?
子どもの頃、ドラマ「北の国から」が大好きでしたが、あのドラマでも、田中邦衛の演じる父親が、「申し訳ない・・・」とよく言ってたのを思い出します。
周囲は、助けたいと思ってお金をかき集める。それを、ガンとして受け取らない父親。最後は、とても申し訳なさそうに受け取ってました。
他人からの施しを受けたくない。つまりは、制裁を受けたくない、恥をかきたくない。それが日本人でしょうか。
喪中とか、未亡人とかも、そういう思想なのかもしれません。
昔は本当に、一年間、白い服を着たりとか。遊びや祝い事も避けるとか。
不幸があったら、慎まなきゃいけないんです。
東北の震災後も、「自粛」と言われたりしましたね。
また、ウツで休職中の人が、Facebookで楽しそうな写真を投稿すると、やっぱり批判されます。
それらの根っこが、同じかどうかはただの邪推ですが。
とにかく、慎まなきゃいけない!自分のせいなんだから制裁は受けるべき!
それが日本という国。
だから、自己責任論にもまっこうから反対もできない。
一理あるよなぁと、思ってしまうわけです。
この国の人々の発想は江戸時代から進化していないのである。なんか新自由主義でグローバル化のもと、先進的な自分をアピールするために「それって自己責任じゃん?」とカッコつけてる人とかいるけど、お前のスタンス、そのまんま江戸時代の村人だよ? キビと大根作ることに人生捧げた天保の時代の藤右衛門と同じだよ? 別に藤右衛門は悪くないけど、せっかく教育受けた意味なくない?
その切り口に、なるほどなぁと思いました。
絶対に許されないんだろうけど、めちゃめちゃ笑顔で「皆さん、ありがとう~!!」っていう、さわやかな会見を見てみたいものだなーと、ふと思いました。
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この記事の元になったのは、「貧困と自己責任の近世日本史」という本。
↑こちらのサイトから、目次と序章が無料で見られます。
序章しか読んでませんが、貧困者への救済意識や、低収入者への支援意識は、日本は海外に比べて低いそうです。
現代日本の税負担率は、いわゆる先進諸国のなかでも最低水準にあるにもかかわらず、人びとの「痛税感」だけは高く、その一方で、他者に対する信頼度(社会的信頼度)は、先進諸国のなかでも最低に位置するという。
普段、納税の見返りを実感できず、他者も信用できない人びとが、税金を用いて見ず知らずの人を救うことに対して、肯定的な態度をとるはずがあるまい。
なんとも冷たい日本なのでしょう。
そのわりには、日本人はやさしいとも言われますが。
見せかけなんでしょうかね。
前回は、江戸時代から続く仕事へのこだわりがすごい!って話でしたが。
ichigo-it.hatenablog.com
良い面も悪い面も・・・
日本の誇りは、どこにあるのか?
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ということで、日本に深く根差した自己責任論。それをくつがえすのはなかなか難しそう。
愛情や称賛を、素直に受け取れないという問題も、そんなところからくるのかもしれません。
だって、
受け取るだけって
申し訳ない・・・
いやいや、
もっと勇気出して、
受け取ろうよ!
やっぱり、
本当は、
受け取りたいよね
ときには、
DNAに反発して
言ってみよう。
ちょうだい!
【2018年を振り返ろう】
元旦:箱根駅伝/タスキの心
1月:はれのひ事件/ハレとケ
2月:カーリング女子
3月:宮沢りえの結婚/ぼくらの七日間戦争
4月:高畑勲監督の訃報/火垂るの墓
5月:山口達也46歳の不祥事
6月:早すぎる梅雨明け/アジサイ美人
7月:桂歌丸さんの訃報
8月:さくらももこさんの訃報
9月:安室奈美恵の引退
10月:豊洲市場開場/築地ワンダーランド
11月:自己責任/素直に受け取りたい
12月:南海キャンディーズ/しくじり先生